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CHICAGO VII (1974/3)
CHICAGO
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・曲目 |
シカゴVII(市俄古への長い道)
シカゴ |
・総評 |
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・試聴♪
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Produced by |
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JAMES WILLIAM GUERCIO |
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01
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PRELUDE TO AIRE
エアーへのプレリュード
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DANIEL SERAPHINE |
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02
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AIRE
エアー |
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DANIEL SERAPHINE WALTER PARAZAIDER JAMES PANKOW |
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03
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DEVIL'S SWEET
悪魔の甘いささやき |
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DANIEL SERAPHINE WALTER PARAZAIDER |
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04
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ITALIAN FROM NEW YORK
ニューヨークのイタリア人
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ROBERT LAMM
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05
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HANKY PANKY
ハンキー・パンキー
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ROBERT LAMM
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06
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LIFE SAVER
愛の女神
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ROBERT LAMM |
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07
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HAPPY MAN
ハッピー・マン |
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PETER CETERA |
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久しぶりに2枚組のアルバムとなった本作は、ジャズ志向の曲とポップ志向の曲とに大別できる異例の形となりました。これは、グループ内に起きつつあった傾向の違いを反映し、その折衷を行くという苦渋の選択がもたらした結果でもありました。そのうちポップ志向に合致した曲がこの"HAPPY MAN"です。
≪キミはやさしいそよ風のようにやって来た。そして、僕は恋に落ちた≫、≪幸せな男がどんなものだか分かったよ≫と、ほんの偶然から恋人にめぐり合ったときの気持ちを描いています。
ピーターは、突然のひらめきから、ふと口にしただけにすぎないこの曲を、家に帰ってからまとめあげて完成させたそうです。この曲を聴いたプロデューサーのガルシオは「NO.1確実だよ」と太鼓判を押しましたが、結局、シングル・カットはされませんでした。
軽快で甘美なラテン・タッチのこの曲は、本アルバムに収められた他の曲と同様、担当楽器の交換が見られ、プロデューサーのガルシオがアコースティック・ギターを、テリーがベースをそれぞれ弾いています。
さて、ここで重大な問題があります。本来、この『シカゴVII(市俄古への長い道)』に収めらた、"HAPPY MAN"は、出だしに、≪false start≫といって、“わざと”撮り直しを思わせるテイクが導入されていたのですが、今回のライノによる再発盤では、これがカットされてしまっているのです!
結局、これでは、15作目の『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』や、27作目『シカゴ・コンプリート・ベスト』に収録されているバージョン(いわゆるGH2 EDIT)と同じです。これには正直ガクッときました・・・。
LPに収録されていたバージョンと同じ物をCDで聴きたい方は、どうやら、以前のCBS/SONY盤やテイチク盤として発売された本作、あるいは、『グループ・ポートレイト』などをあたるしかないようです。
なお、ピーターはこの曲をえらくお気に入りの様子で、のちのソロ第5弾『ワン・クリア・ヴォイス』(95年)においてセルフ・リメイクを披露してくれています。
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08
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(I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG
遙かなる愛の夜明け |
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JAMES PANKOW
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邦題につられて、この曲を愛の歌と解釈することもできそうです。
しかし、作者のジミーによれば、これは「自己発見の歌」だとか。
たしかに、深読みせず素直に見ると、その通りの歌詞だと思います。 ≪人生が過ぎてゆくにつれ、自分の中で何かが変わっていくのを確信するようになった≫、≪自分の人生に変革をもたらし、自分を変える何かを、そんな何かを、僕はずっと探し求めてきたんだ≫といった歌詞からも、本人の言通り、70年代前半の若者の気持ちを代弁していることが推測されます。どこか暗示的なイントロも雰囲気作りに一役買っています。
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09
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MONGONUCLEOSIS
モンゴヌークレオシイス |
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JAMES PANKOW |
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前曲"遙かなる愛の夜明け"に連なる形で演奏される、ラテン・タッチのインストゥルメンタルです。
それにしても、いまだにこの≪mongonucleosis≫という語の意味が分かりません。おそらくは造語なのでしょうが、“大熱狂症候群”とでも訳すのでしょうか?
この点について、再発ライノ盤の解説では、作者のジミーが次のような趣旨の回答を与えています。すなわち、まず、≪mongonucleosis≫というこの言葉自体には特別の意味はない。しかし、この"モンゴヌークレオシイス"という曲は、前曲"遙かなる愛の夜明け"のテーマであった“発見”に対する“祝福”の意味を持たせた曲だと言うのです。
なるほど、そう言われてみれば分かるような気もします。
ところで、この曲には、ピーターとロバートそれぞれの元夫人であるダイアン・ニニとジュリー・ニニがバック・コーラスとして参加しています。ですが、それが具体的にどの部分なのかはいまだに判別できません・・・。
また、大変ノリの良い曲であることも手伝って、メンバーもとても楽しそうに演奏しています。近年でも取り上げる機会の多い曲でして、たとえば、シカゴとアース・ウィンド&ファイヤーのジョイント・ツアーの模様を収めたDVD『LIVE AT THE GREEK THEATRE』(05年)の中でも見ることができます。
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10
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SONG OF THE EVERGREENS
ソング・オブ・エヴァーグリーン(鎖のついた自由) |
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TERRY KATH
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11
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BYBLOS
思い出のビブロス
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TERRY KATH |
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12
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WISHING YOU WERE HERE
渚に消えた恋 |
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PETER CETERA
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作者のピーター自身が言うように、この曲は、「旅の曲」です。ツアーに追われて恋人に会えないさまを描いたものと思われます。
イントロ部分で用いられた波の音が旅情をかき立てるのに効果的な役割を果たしています。それにも増して大きいのは、ゲスト参加のビーチ・ボーイズの強力ライン・アップです。この曲には、アル・ジャーディン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンの3人がバック・コーラスを担当しています。旅に出てもどこか後ろ髪が引かれる思いがするのは、この彼らの心温まるボーカルが感傷的なムードをかもし出してくれているからでしょう。
ビーチ・ボーイズとの共演はピーターの念願だったのですが、プロデューサーだったガルシオがビーチ・ボーイズのマネージメントを担当することになり、それに乗じて、ピーターが思い切って話を切り出したのだそうです。もちろん、彼らはこれを快諾し、実現の運びとなったわけです。
シカゴとビーチ・ボーイズは、以後も度々合同ツアーを開催するようになります。その名称として日本ではいわゆる"BEACHICAGO"(ビーチカゴ)の冠が一般的ですが、再発ライノ盤の伊藤秀世さんの訳注によると、本国では、"BEACHAGO"(ビーチャゴ)と呼ばれていたそうです。
演奏面では、ピーターと、プロデューサーのガルシオがギターを担当し、逆に、テリーがベースを弾いてるなど興味深い点も散見されます。
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13
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CALL ON ME
君は僕のすべて |
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LEE LOUGHNANE |
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私はとっても好きなんです、この曲が。
ピーターの伸びのあるボーカル、テンポ満点のリズム、効果的なブラス・アレンジメント、オリヴェイラのパーカッション、客演のギル・ガルシア(GUILLE GARCIA)のコンガなどなど・・・、総合芸術としてのポップスを考えた場合、この曲は一つの完成型と言えるのではないでしょうか。
もっとも、ここでの一番の注目は、トランペットのリーの初作品だという点。ピーターの若干脚色的(?)なコメントによれば、リーはこの曲をみんなの前で披露したところ、一蹴されてしょげていたため、自らの協力のもとに書き直して完成させたとか。このピーターのサポートは、気持ち良さそうに歌うその歌唱にも表れているように思います。結果として、この"CALL ON ME"は最高位第6位を記録するビッグ・ヒットになります。
恋人に別れを告げる主人公。ですが、勝手な(?)主人公は、別れても友達でありたいと言います。そのため、≪好きなんだから、訪ねておいで≫、≪いつでもアテにしていいよ≫と付け加えます。しかし、こんな理屈は女性に通じるのでしょうか???それとも、彼女の心の方が先に離れていくのを察した主人公が先んじて格好をつけたと見るのが実情だったりして・・・。事実、この曲は、リーが別れた前妻に贈った曲と言われています。
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14
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WOMAN DON'T WANT TO LOVE ME
女のお話し
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ROBERT LAMM
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15
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SKINNY BOY
ママが僕に言ったこと
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ROBERT LAMM
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邦題通り、≪ママが僕に言ったこと≫が中心となる歌詞。そして、それを素直に聞いてきた男が今になって思うこと、の二大柱で構成。
母親の言い付けは、≪借金はダメよ。時間に遅れてもダメ≫といった他愛ないものから、≪他人を愛しなさい。そうすれば、愛は必ずあなたのもとに戻ってきます≫というヒューマニズムあふれるものまで実に多彩。
一方、ガリガリのやせっぽっちだった少年(=skinny boy)は、やがていろんな人生を経験して、大人になり、自我を確立します。≪もっと自分のために生きなきゃ!≫と。
しかし、彼はとてもわきまえていて、自分自身のためには、とにかく今を頑張って、享楽は後回しにしよう、という何ともストイックな方向を目指します。この辺が素晴らしいというか何というか・・・。彼がこれに反発するというオチを期待した人たちをガッカリさせたかもしれません。
でも、考えてみれば、"(I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG"において、ジェイムズ・パンコウが70年代の若者のテーマだった“自己発見”を表現したように、同時期に製作された、この"SKINNY BOY"において、ロバートがしっかりした若者像を描写することは、それはそれで理解できるのです。
なお、この曲は、同年にリリースされたロバート・ラムのファースト・ソロ・アルバム『SKINNY BOY』にも収録されています。
さて、ポインター・シスターズについて付言。
彼女たちは、ご承知の通り、押しも押されぬソウル・コーラス・グループ。もともとは、ルース、アニタ、ボニーの3人で活動してましたが、73年のデビュー期までには末っ子のジューンが加入して、4人組に。しかし、76年にボニーがソロに転向して以来、一般にはトリオ編成のイメージが強いと思います。彼女たちがロバートやテリーと一緒に仕事をした73〜74年頃は、ちょうど“40年代スタイル”というノスタルジックなコーラス・ワークを基調として活動していた時期でもあり、そのせいか、この曲でも、かなり、懐古的ないしゴスペル調の歌声になっているのがお分かりいただけるかと思います。その後、上記のようにボニーの脱退劇を迎えますが、3人組となった彼女たちは、若干商業ポップに路線変更し、79年、ブルース・スプリングスティーン作の"FIRE"を大ヒットさせます。さらには、84年、『BREAK OUT』というモンスター・アルバムを世に送り出し、爆発的な人気を博すことになります。
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16
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BYBLOS (Rehearsal)
思い出のビブロス (リハーサル・バージョン)
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TERRY KATH |
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73年8月6日に収録されたリハーサル・バージョン。アルバム・バージョンと比べて、楽器担当に違いがあります。すなわち、このリハーサル段階では、ピーターがベース、ロバートがキーボードを弾いていましたが、のちのアルバム・バージョン収録段階になって、ベースもテリー自らが演奏し、ピアノに至ってはミキシング・エンジニアのウェイン・ターノウスキー(WAYNE TARNOWSKI)が担当する、といった変更があったというわけです。
念のため申し上げますと、そもそも、この『07』というアルバムは、楽器やボーカルの担当者について様々な試みを施しているので、この辺の入れ替わりをいちいち詮索する必要はまったくありません。
また、全体のテンポが速く、収録時間が40秒ほど早くなっています。そのせいか、総じて、息つかせない、スリリングな印象を与えます。さらに、コーラスがありません。歌詞自体は、若干の増減があるにすぎません。
その歌詞内容ですが、これは東京に当時実在したBYBLOSというクラブでの一夜の恋を語ったものとされています。小説のように非常に筋の通った展開を広げていきます。はじめは気にならなかった女の子。やがて会話をするにつれ、彼女に惹かれ出す自分。しかし、ちょっとしたアヤが彼女の気持ちを変えてしまう・・・。住居も電話番号も知らない一人の女性。≪だけど、いいさ。また彼女に会える日を待つよ。そして、また楽しいひとときを過ごすさ・・・≫。テリーによる自然な恋心の描写。場面が目に浮かぶような筆致は素晴らしいの一言。
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