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CHICAGO XXVII
THE VERY BEST OF : ONLY THE BEGINNING (2002/7)
CHICAGO
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・曲目 |
シカゴ・コンプリート・ベスト
シカゴ |
・総評 |
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・試聴♪
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Produced by |
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JAMES WILLIAM GUERCIO (DISC 1、DISC 2-01、02、03) |
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PHIL RAMONE & CHICAGO (DISC 2-04、05) |
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DAVID FOSTER (DISC 2-06、07、08、09、10、11、12、13) |
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CHAS SANDFORD (DISC 2-15) |
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RON NEVISON (DISC 2-14、16、17、18、19) |
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BRUCE FAIRBAIRN (DISC 2-20) |
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通算27作目は、2枚組のベスト盤でした。
ですが、シカゴの30年以上にもわたる活動を、レーベルの垣根を越えて編集してある点で、シカゴの大まかな歴史を知りたいという方には非常におすすめのCDです。
ファンの多くの方にとっては、すでに知っておられる曲ばかりで味気ない感じもされるでしょうが、聴いてみると、いろいろと面白いことが分かったりします。たとえば、本作には、シングル・バージョンが多数収録されていますが、今までのエディットと異なる編集の仕方を施してあるものも散見されます。とはいっても、非常にマイナーな編集ですけど・・・。
国内盤は2002年8月21日に発売されましたが、その初回盤特典として、シカゴのこれまでのアルバム・ジャケットを編纂した、「シカゴ・ジャケット・ヒストリー・ブックレット」が同梱されていました。これだけでも価値のある一品です。
さらに、国内盤に収蔵された歌詞カードは、今まで曖昧ないし不正確だった部分が丹念な聴き取り作業によってほぼ完璧となっています。これは、続いてライノより再発売されたシカゴの旧譜(『1』〜『14』)の国内盤でも同様です。とにかく、関係者の方々の御尽力に感謝です。
なお、本作ベスト盤には、94年にお蔵入りした『STONE OF SISYPHUS』からの選曲はなされていません。
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01
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MAKE ME SMILE (New Edit)
ぼくらに微笑みを (ニュー・エディット)
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JAMES PANKOW |
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70年、『シカゴと23の誓い』収録。
本曲は、2作目『シカゴと23の誓い』に収録されていた、"BALLET FOR A GIRL IN BUCHANNON" という12分にも及ぶ連作の冒頭を飾る曲です。
しかし、全体としては切れ目のない大作ゆえ、個々の曲を見ると、シングル・カットの際には考えなければならないことがありました。シングル・レコード用に“分数を短縮化”することです。
無論、この"MAKE ME SMILE"(3:27)についても、シングル化にあたって、編集が施されました。
当初のシングル・バージョンは、印象的なブラスのイントロ部分やテリーのギター・ソロが大幅にカットされ、その曲の後半に、同じ連作の最終章"NOW MORE THAN EVER"(1:12)が結合されるという形をとりました。結果として、全体で2:59という分数にまで短縮されています。9作目『シカゴIX 偉大なる星条旗』、23作目『THE HEART OF CHICAGO 1967-1997』に収録されている"MAKE ME SMILE"も、この当初のシングル・バージョンです。
ところが、今回、この『27』に収録されたバージョンは、この以前のシングル・バージョンとも異なり、(New Edit)と称されています。まず、アルバム・バージョンに忠実に、ブラスのイントロ部分から始まります。テリーのギター・ソロも含まれています。"NOW MORE THAN EVER"との結合は同じですが、この曲の後半がカットされずちゃんと入っている点に好感を持てます。CD化されていない過去のコンピレーション・アルバム(LP)なども調べてみましたが、おそらく初お披露目のバージョンだと思います。
さて、旧シングル・バージョンは、グループ初のトップ10ヒットを記録し(1970年6月6日、13日、第9位)、輝けるシカゴのシングル・ヒストリーの足掛かりを築きます。作者のジミーは、車の運転中にラジオから流れてきたこの曲に狂喜乱舞したとか。シングル中心に考えると、まさにこの"MAKE ME SMILE"は、ベスト盤の1曲目にふさわしいですよね。
内容は、幸せな歌、失恋の歌、どちらともとれるような気がしますが、肝心なのは、この曲が連作の一部だということ。"BALLET FOR A GIRL IN BUCHANNON"を全体を通して聴くと、主人公が悩みながら気付いていく過程が描かれています。結局、いずれの心情を歌ったものなのかは分かりません。むしろ、その葛藤の過程を綴った作品なのかもしれません。
加えて、"COLOUR MY WORLD"もご参照ください。
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02
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25 OR 6 TO 4
長い夜 |
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ROBERT LAMM |
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70年、『シカゴと23の誓い』収録。
この曲は、 前曲"MAKE ME SMILE"の勢いに乗って、1970年7月25日にその週のホット・ショット・デビューを飾ります(初登場第50位)。そして、9月12日に最高位第4位を記録します。特筆なのは、アメリカ国内のほか、世界中で大ヒットしたという点です。もちろん、日本でも爆発的にヒットしました。
初期のシカゴの曲として、これほどすぐ名前が挙がり、浸透している曲は他にないように思われます。とにかく、♪デ、デ、デ、デ、デンという強烈なギター・イントロ。これだけで大抵の方が「ああ、知ってる!」と連想していただけるはずです。
うねり狂うテリーのギター、シャウトするピーターのハイトーン・ヴォーカル、そして、ロバートの奇々怪々なタイトリング。この各種の要素が当時のロック小僧&少女のハートを鷲づかみにしたであろうことは想像にかたくありません。
ちなみに、この"25 OR 6 TO 4"は、≪twenty five or six to four≫と発音します。その意味については、当時様々な憶測を呼びましたが、4時25〜6分前という夜中の時間のことを指しています。作者のロバート・ラムが寝つけないさまを書き綴った作品だということです。
また、この曲では、ギターとホーン・セクションのバランスが絶妙です。曲自体の印象が強いため、見過ごしがちですが、この点はかなり重要なポイントだと思います。
なお、ここではシングル・バージョンではなく、アルバム・バージョンが収録されています。
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03
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DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ? (New Edit)
いったい現実を把握している者はいるだろうか? (ニュー・エディット) |
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ROBERT LAMM |
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69年、『シカゴの軌跡』収録。
75年、『シカゴIX 偉大なる星条旗』収録。
この曲の初出は、ファースト・アルバム『シカゴの軌跡』でしたが、極端に長いわけでもないのに(4:35)、シングル化や、ベスト盤への編集の段階で、様々な短縮化を強いられた曲です。
本作『27』収録のバージョンは、クレジット上(New Edit)とありますが、色々と見てみますと、結果として、以前、9作目の『シカゴIX 偉大なる星条旗』がCD化された際に再編集されたバージョンのようです(=LPバージョンと異なる)。その他、詳しい比較はこちらをご覧ください。
内容は、叙事詩を得意とするロバートの真骨頂が表れた作品です。現実に体験したエピソードが元になって作曲されています。
懸命に今の時刻を知ろうとする人たちに対して、≪いったい現実を把握している者はいるだろうか?≫と皮肉を込めて返答する主人公。
では、本当に必要なことは何か?―――それは、やはり、ロバートにしか分からないのでしょう。でも、その一つが"BEGINNINGS"なのかもしれませんね。もちろん、2つの曲の間に何ら意図的な関係はありませんが・・・。
なお、この曲の後半には、ナレーション的なコメントがかぶさっていますが、2002年にライノが再発した本アルバムの国内盤には、今まで聴き取れなかった同部分の歌詞が掲載されています。この場を借りて、関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。
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Q&A 歌詞に関する疑問
"DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ?"の分数比較
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04
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BEGINNINGS (GH Edit)
ビギニングス (ニュー・エディット) |
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ROBERT LAMM
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69年、『シカゴの軌跡』収録。
まず、(GH Edit)の≪GH≫というのは、きっと≪GREATEST HITS≫の略称だと思われます。つまり、“9作目『シカゴIX 偉大なる星条旗』に収録されていたバージョン”という意味なのでしょう。具体的には、終わりのパーカッションの部分が1分30秒近くカットされています。
この"BEGINNINGS"は、もともとファースト・アルバム『シカゴの軌跡』に収録されていましたが、演奏時間が8分弱と、とても長いため、シングル・カットする際、分数が極端に短縮されました。今回の(GH EDIT)は、この極端に短縮されたシングル・バージョンとも異なります。
もっとも、9作目の『シカゴIX 偉大なる星条旗』がCBS/SONYから初国内盤CD化されたときには、なぜかファースト・アルバムの『シカゴの軌跡』のと同じ分数のオリジナル・バージョンが収められました。ですが、LPレコードで発売された75年当時は、本アルバム『27』に収録されたのと同じバージョンのものが収められていたのです。
そのような細かい点はさておき、この曲は、叙“事”詩を得意とするロバート・ラムが叙“情”詩の方でも、さすがという一面を見せてくれる名曲です。≪キミと一緒にいるときは、どこで何をしているかなんて関係ない≫、≪キミにくちづけをすると、千もの違ったフィーリングを感じる≫などなど・・・。
このように優しく語り掛けるロバートのラヴ・ソング"BEGINNINGS"。演奏時間に負けないファンのロング・ラン的支持のある逸品です。
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05
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QUESTIONS 67 AND 68
クエスチョンズ67/68 |
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ROBERT LAMM
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69年、『シカゴの軌跡』収録。
記念すべきシカゴのデビュー・シングル。
ところが、一番最初にリリースした69年6月の時点では、チャートインを果たせませんでした。めげずに翌7月に再リリースしたときには、8月9日付でギリギリの99位に初チャートイン。その後78位、71位ときて、なんと翌週はHOT100圏外へ・・・。わずか3週だけのチャートインに終わりました。
しかし、2作目『シカゴと23の誓い』からのシングルが大ヒットを記録すると、その余波を受けて、1作目の本作『シカゴの軌跡』に戻ってシングル・カットされる機運が高まり、71年9月になって再々リリースされます。この、都合3度目にシングル化された"QUESTIONS 67 AND 68"は、見事24位まで上がるスマッシュ・ヒットとなりました。
これら3度のシングルは、それぞれアルバム・バージョンを短縮したもので、なおかつ、すべて演奏時間が異なります。
本作『27』収録のバージョンは、終わりの無音に近い部分が数秒カットされてはいますが、まず、アルバム・バージョンと同一と言っていいでしょう。
歌詞の内容ですが、愛する2人が共有する気持ちは、偶然に生まれるものなのか?、それとも、必然として生まれたものなのか?、そんな哲学的な思いを読み取ることができます。と同時に、≪知りたいんだ、教えてくれるかい?、いや、教えなくていいや≫というどこかもどかしい感情をも漂わせており、一筋縄では行かないストーリー仕立てに脱帽するところでもあります。
ちなみに、この"QUESTIONS 67 AND 68"には日本語バージョンが作られ、『ライヴ・イン・ジャパン』や『ハート・オブ・シカゴ 1967〜1981 II』(緑盤)などで聴くことができます。
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06
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I'M A MAN (New Edit)
アイム・ア・マン (ニュー・エディット) |
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STEVE WINWOOD JIMMY MILLER
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69年、『シカゴの軌跡』収録。
この曲は、もともとはスペンサー・デイヴィス・グループのヒット曲です(最高位英第9位、米第10位)。
シカゴ版の方は、サビの部分を除いて歌詞が大幅に変容されています。しかも、スペンサー・デイヴィス・グループの原曲の方は3分弱の演奏時間でしたが、シカゴ版は7分をゆうに超えています。また、原曲にもあったパーカッション系打楽器類の味付けがさらに強調されています。出だしのベース・イントロも、原曲になかったわけではないのですが、シカゴ版ではそれがさらに印象的に繰り出されています。
このシカゴの"I'M A MAN"も、B面とはいえ、ヒットを記録しているにもかかわらず、なぜか各種ベスト盤への収録回数が少ない、不憫な曲です。もっとも、演奏時間が長いのと、他に外せない曲が多すぎるという贅沢な悩みを抱えたバンドだからでもありますが・・・。
なお、本作『27』に収録されたバージョンは(New Edit)とあり、間奏が大胆に省略されて、全体で2分近く短縮されています。未確認ですが、どうやら初CD化と言ってよさそうです(間違ってたらごめんなさい!)。
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07
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COLOUR MY WORLD
ぼくらの世界をバラ色に |
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JAMES PANKOW
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70年、『シカゴと23の誓い』収録。
この"COLOUR MY WORLD"も、"MAKE ME SMILE"と同じく、"BALLET FOR A GIRL IN BUCHANNON"という連作の一部です。
"MAKE ME SMILE"で付きつ離れずの関係を感じ、続く、"SO MUCH TO SAY, SO MUCH TO GIVE"で葛藤し、さらに"ANXIETY'S MOMENT"というインストゥルメンタルで文字通り不安の日々を過ごし、同じインストゥルメンタルの"WEST VIRGINIA FANTASIES"で少し気分が高揚し、そして、落ち着いたところで、本曲"COLOUR MY WORLD"を迎えます。
この曲は、深いピアノのイントロで始まりますが、ジミーに言わせると、この部分はバッハの影響だそうです。また、テリーのヴォーカルもまろやかで、しっとりと聴かせてくれます。
いろいろ悩み挙げた末、≪僕はやっと気付いたんだ。キミが僕にとってどんな存在か≫、≪キミを愛する希望で僕の世界を色付けておくれ≫という願いが込められているようです。邦題の“バラ色に”とはよく考えたものです。この辺の当時の邦題センスには頭が下がります。
ところで、この曲も、一応記録上はシングル・カットされたことになります。とはいっても、はじめは"MAKE ME SMILE"のB面シングルとして(70年3月)、2回目はともに再発だった"BEGINNINGS"との両面シングル扱いでした(71年6月)。つまり、単独A面シングルという形ではなかったのです。詳しくはこちらをご覧ください。
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08
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FREE
自由になりたい |
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ROBERT LAMM
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71年、『シカゴIII』収録。
この曲が一番カッコイイと思うのは、出だしです。アルバム上は、"TRAVEL SUITE"という連作の一部として、ダニーのドラム・ソロ"MOTORBOAT TO MARS"に続く構成となっているのですが、この連結部分がめちゃくちゃにカッコイイのです!このカッコ良さは本曲単独で聴くと分からないと思われます。
主にピーターとテリーの声が映えるこの曲は、まさに≪自由になりたい!≫という叫び声だけで成り立っています。
演奏面では、連作のハイライトとして、ダニーのドラムとウォルターのサックスが織り成すメロディが実に素晴らしく、こちらを見逃す手はありません。
ただ、ウォルターに言わせれば、「2作目『シカゴと23の誓い』を出した頃から、世の中がおかしくなってきた」ということだそうです。アメリカでも、暴動やベトナム戦争などの社会現象が日を増すごとに深刻化し、3作目の本作『シカゴIII』を製作するにあたっても、ある種の緊迫感が支配していたようです。
ロバートの作詞した本曲は、そういった艱難辛苦(かんなんしんく)からの≪free≫、つまり、≪自由≫を標榜した作品といえるでしょう。事実を見つめるロバートの作風からして、時代背景を無視することができない作品だと思います。
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09
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LOWDOWN
ロウダウン |
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PETER CETERA DANIEL SERAPHINE |
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71年、『シカゴIII』収録。
おそらく、ピーターとダニー2人だけの組み合わせというのはこれが唯一の作品。LPのクレジットによると、ピーターが作曲し、ダニーと2人で作詞にあたったようです。ピーター曰く、「乙女座の仲」で頑張ったとか。
とくに、テリーのギターとロバートのオルガンが奏でる印象的なイントロは一発で記憶に残ります。
≪lowdown≫という言葉は、形容詞では程度の低いさまを、名詞ではその果てにある事実そのものを指しますが、本曲の場合は、多くの訳詞通り、≪ひどいもんだ!≫、≪最悪!≫、≪がっかりだ!≫といった意味で理解していいようです。
無益に過ぎていく人生、荒廃した故郷・・・、そんなひどい状態を人々に伝えようとする歌詞ですが、なぜかポップに聴こえます。それはピーターのボーカルの成せる業でしょう。
なお、この"LOWDOWN"にも日本語バージョンが作られ、『ライヴ・イン・ジャパン』や『ハート・オブ・シカゴ 1967〜1981 II』(緑盤)などで聴くことができます。
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10
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SATURDAY IN THE PARK
サタデイ・イン・ザ・パーク |
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ROBERT LAMM |
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72年、『シカゴV』収録。
7月4日というアメリカの独立記念日を回想する、シカゴの代表曲。ロバートのお気に入りの1人、キャロル・キングを彷彿とさせるイントロに自然に体が反応します。ちなみに、この曲は、ニューヨークのセントラル・パークでの記念祭の模様をモチーフとして作曲されてるそうです。
なお、以前から盛んに議論の対象となった、この曲中に出てくるイタリア語らしき歌詞についても、当アルバム『27』の歌詞カードにより一応の決着がついたとみていいようです。なお、このベスト盤の発売後、初出の『シカゴV』も再発されましたが、同様の記載がされています。それらの詳細についてはこちらをご参照ください。
このシングル"SATURDAY IN THE PARK"は、最高位が第3位でしたが、初のミリオン・セラーを記録します。このとき1位となるのを阻止したのは、マック・デイヴィスの"愛は心に深く"と、スリー・ドッグ・ナイトの"ブラック・アンド・ホワイト"でした。また、同時期に発売された5作目のアルバム『シカゴV』は、グループ初の全米NO.1を獲得します。
この頃のバンドを巡る状況としては、段々とシングルに重点が置かれるようになってきました。アルバムもはじめて1枚組で登場し、1曲ごとの演奏時間も短くなっています。また、作風もこの"サタデイ・イン・ザ・パーク"に代表されるように、ポップ・センスがさらに洗練化されています。ただ、そのような傾向を意図したことはなく、また、メンバー間でもかなりの葛藤があったようです。しかし、結果として、この曲ならびにアルバムを契機に、以降、チャート上で怒涛の快進撃を続けます。とくに、その週のチャートの初登場最高位曲を意味するホット・ショット・デビューがこれほど多いのは尋常ではありません。いかにファンの期待が大きかったかが数字として残っているわけです。まさにシカゴの第1時黄金期の幕開けです。
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Q&A 歌詞に関する疑問 |
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DIALOGUE (PART I & II) (Single Version)
ダイアログ(パート1&2) (シングル・バージョン) |
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ROBERT LAMM
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72年、『シカゴV』収録。
本作に収められたバージョンは、シングル・バージョンで、冒頭のテリーのギター・カッティングが削られていてる点が非常に残念です。また、間奏部分の切り落としが随所に見受けられます。結果として、2分程度短縮されています。
≪dialogue≫という言葉が示すように、まさに、この曲は対話形式で出来ています。そして、発表当時から、テリー扮する過激派と、ピーター扮するノンポリ学生の対話だという定説があります。
たしかにそうなんですが、歌詞のみを純粋に見ると、当の過激派は暴力による現状打破を狙うのではなく、むしろ、≪idea≫、つまり、物事の考え方に力を認めています。この辺は、自らも過激な物言いをするものの、やはり、インテリ系であるロバートらしい過激度だと思いました。
しかも、興味を惹かれるのは、悲惨な社会状況に思い悩む過激派が、ノンポリ、つまり、何のポリシーも持たない学生に対して、今の状況をどう把握しているのか尋ねているだけで、とくにけしかけているわけではないところです。また、尋ねながら自らを安心させようとする不安な気持ちを表現している点も見事です。
最後に、過激派の方が、≪ありがとう。おかげでホッとしたよ。来るべく状況に困惑していたんだ≫と言いますが、これがおよそ真意でないことは明らかでしょう(と思う)。
しかし、ここに出てくるノンポリ学生の楽観的な考え方は、ある意味達観したところがあるようにも映ります。当時はヤワな考えとして揶揄(やゆ)されたんでしょうけれど・・・。
いずれにしろ、ロバートのバランス感覚が散りばめられた秀逸作となっています。
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12
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JUST YOU 'N' ME
君とふたりで |
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JAMES PANKOW |
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73年、『遙かなる亜米利加』収録。
シカゴに2枚目のミリオン・セラーをもたらした傑作(最高位第4位)。滑らかに繰り出されるブラス・イントロ。ピーターのツヤのある声。そして、コーラスも充実。何をとっても完成された作品。
≪キミは僕の恋人、僕の人生そのもの。キミは励ましとなる人。キミと僕。実にシンプルで自由な気分だ。ベイビー、キミこそ僕が夢見ていた人だよ≫と、まさにジミー節炸裂。ですが、愛する2人にこれ以上ふさわしい曲は考え付きません。
もっとも、曲が出来るまでの過程にはちょっとしたドラマが。当時作者のジミーは夫人と婚約前に仲違いをしていまい、そんな中でピアノに向かったら、この曲が出来たという話です。壁をブン殴ったりして暴れるよりピアノに相対する方を選ぶなんて、さすがジミー。シカゴの面々は本当に理知的、かつ、誠実で好きです。そして、この曲のかもし出す雰囲気も!
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13
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FEELIN' STRONGER EVERY DAY
愛のきずな |
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PETER CETERA JAMES PANKOW |
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73年、『遙かなる亜米利加』収録。
この曲の製作には面白いエピソードがあります。ジミーがトロンボーンをいじっていると、ピーターが「それ、何て曲だい?気に入ったよ」と言って近づいてきました。しかし、ジミーはただ適当に吹いていただけで、とくに曲ではなかったのです。それがキッカケとなって2人で書き上げていったという話です。おそらくはイントロ部分のことだったのでしょうが、ピーターはえらくお気に入りで、ソロに転じてからも、この曲をコンサートで披露したりしています。
離れ離れになりつつある恋人たちが別れ際に抱く感情。別離が≪キミにとっては最高なことで、僕にとっては最悪のこと≫という自虐的な歌詞がなんとも悲哀を誘います。そして、最後に、≪僕は日に日に強くなっている。もう大丈夫だ≫と気丈なところもみせています。共作者のジミーに言わせれば、この曲はグループの絆が強くなってきたことを暗に託したものだそうです。
また、この曲がヒットしたことで、以降、ピーターの歌う甘いバラードがチャート受けする傾向を生むようになります。
なお、国内盤の歌詞カードによると、この曲の後半フェイド部分の始まり、時間にして3分1秒過ぎに、ローリング・ストーンズの68年の大ヒット・シングル"JUMPIN' JACK FLASH"の一節が借用されています。ただ、誰のコーラスかは分かりません。それにしても、この事実には正直打ちのめされました。今までまったく気付きませんでしたから・・・。
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14
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(I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG
遙かなる愛の夜明け |
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JAMES PANKOW |
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74年、『シカゴVII(市俄古への長い道)』収録。
邦題につられて、この曲を愛の歌と解釈することもできそうです。
しかし、作者のジミーによれば、これは「自己発見の歌」だとか。
たしかに、深読みせず素直に見ると、その通りの歌詞だと思います。 ≪人生が過ぎてゆくにつれ、自分の中で何かが変わっていくのを確信するようになった≫、≪自分の人生に変革をもたらし、自分を変える何かを、そんな何かを、僕はずっと探し求めてきたんだ≫といった歌詞からも、本人の言通り、70年代前半の若者の気持ちを代弁していることが推測されます。どこか暗示的なイントロも雰囲気作りに一役買っています。
一方で、オリジナル・アルバム『シカゴVII(市俄古への長い道)』では、この曲に続き、軽快なラテン・インストゥルメンタル"MONGONUCLEOSIS"へと橋渡しされます。このインストゥルメンタルには、ピーターとロバートそれぞれの元夫人であるダイアン・ニニとジュリー・ニニがバック・コーラスとして参加しています。もっとも、よく判別できないのですが・・・。
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15
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WISHING YOU WERE HERE
渚に消えた恋 |
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PETER CETERA |
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74年、『シカゴVII(市俄古への長い道)』収録。
作者のピーター自身が言うように、この曲は、「旅の曲」です。ツアーに追われて恋人に会えないさまを描いたものと思われます。
イントロ部分で用いられた波の音が旅情をかき立てるのに効果的な役割を果たしています。それにも増して大きいのは、ゲスト参加のビーチ・ボーイズの強力ライン・アップです。この曲には、アル・ジャーディン、デニス・ウィルソン、カール・ウィルソンの3人がバック・コーラスを担当しています。旅に出てもどこか後ろ髪が引かれる思いがするのは、この彼らの心温まるボーカルが感傷的なムードをかもし出してくれているからでしょう。
ビーチ・ボーイズとの共演はピーターの念願だったのですが、プロデューサーだったガルシオがビーチ・ボーイズのマネージメントを担当することとなり、それに乗じて、ピーターが思い切って話を切り出したのだそうです。もちろん、彼らはこれを快諾し、実現の運びとなったわけです。
シカゴとビーチ・ボーイズは、以後も度々合同ツアーを開催するようになります。その名称として日本ではいわゆる"BEACHICAGO"(ビーチカゴ)の冠が一般的ですが、再発ライノ盤『シカゴVII(市俄古への長い道)』における伊藤秀世さんの訳注によると、本国アメリカでは、 "BEACHAGO" (ビーチャゴ)と呼ばれていたそうです。
演奏面では、ピーターと、プロデューサーのガルシオがギターを担当し、逆に、テリーがベースを弾いてるなど興味深い点も散見されます。
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16
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CALL ON ME
君は僕のすべて |
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LEE LOUGHNANE
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74年、『シカゴVII(市俄古への長い道)』収録。
私はとっても好きなんです、この曲が。
ピーターの伸びのあるボーカル、テンポ満点のリズム、効果的なブラス・アレンジメント、オリヴェイラのパーカッション、客演のギル・ガルシア(GUILLE GARCIA)のコンガなどなど・・・、総合芸術としてのポップスを考えた場合、この曲は一つの完成型と言えるのではないでしょうか。
もっとも、ここでの一番の注目は、トランペットのリーの初作品だという点。ピーターの若干脚色的(?)なコメントによれば、リーはこの曲をみんなの前で披露したところ、一蹴されてしょげていたため、自らの協力のもとに書き直して完成させたとか。このピーターのサポートは、気持ち良さそうに歌うその歌唱にも表れているように思います。結果として、この"CALL ON ME"は最高位第6位を記録するビッグ・ヒットになります。
恋人に別れを告げる主人公。ですが、勝手な(?)主人公は、別れても友達でありたいと言います。そのため、≪好きなんだから、訪ねておいで≫、≪いつでもアテにしていいよ≫と付け加えます。しかし、こんな理屈は女性に通じるのでしょうか???それとも、彼女の心の方が先に離れていくのを察した主人公が先んじて格好をつけたと見るのが実情だったりして・・・。事実、この曲は、リーが別れた前妻に贈った曲と言われています。
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17
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HAPPY MAN (GH2 Edit)
ハッピー・マン (グレーテスト・ヒッツ・エディット) |
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PETER CETERA |
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74年、『シカゴVII(市俄古への長い道)』収録。
81年、『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』収録。
久しぶりに2枚組のアルバムとなった7作目『シカゴVII(市俄古への長い道)』は、ジャズ志向の曲とポップ志向の曲とに大別できる異例の形になりました。これは、グループ内に起きつつあった傾向の違いを反映し、その折衷を行くという苦渋の選択がもたらした結果でもありました。そのうちポップ志向に合致した曲がこの"HAPPY MAN"です。
≪キミはやさしいそよ風のようにやって来た。そして、僕は恋に落ちた≫、≪幸せな男がどんなものだか分かったよ≫と、ほんの偶然から恋人にめぐり合ったときの気持ちを描いています。
ピーターは、突然のひらめきから、ふと口にしただけにすぎないこの曲を、家に帰ってからまとめあげて完成させたそうです。この曲を聴いたプロデューサーのガルシオは「NO.1確実だよ」と太鼓判を押しましたが、結局、シングル・カットはされませんでした。
軽快で甘美なラテン・タッチのこの曲は、7作目に収められた他の曲と同様、担当楽器の交換が見られ、プロデューサーのガルシオがアコースティック・ギターを、テリーがベースをそれぞれ担当しています。
さて、ここで重大な問題があります。本来、この"HAPPY MANは、出だしに、≪false start≫といって、“わざと”撮り直しを思わせるテイクが導入されていたのですが、今回のライノによる再発盤では、これがカットされてしまっているのです!
つまり、(GH2 EDIT)とあるように、本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』には、15作目の『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』に収められた、イントロのギターやり直し部分がカットされたバージョンが収録されています。このことは、ライノ盤の『シカゴVII(市俄古への長い道)』でも同様です。
LPに収録されていたバージョンと同じ物をCDで聴きたい方は、どうやら、以前のCBS/SONY盤やテイチク盤として発売された『シカゴVII(市俄古への長い道)』、あるいは、『グループ・ポートレイト』などをあたるしかないようです。
なお、ピーターはこの曲をえらくお気に入りの様子で、のちのソロ第5弾『ワン・クリア・ヴォイス』(95年)においてセルフ・リメイクを披露してくれています。
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18
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ANOTHER RAINY DAY IN NEW YORK CITY
雨の日のニューヨーク |
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ROBERT LAMM
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76年、『シカゴX(カリブの旋風)』収録。
ロバートが幼い頃過ごしたニューヨーク。そんなニューヨークの、雑多で、しかし、思い出のある情景を雨を通じて表現しています。
まず、詩を見て気が付くのは、しっかり韻を踏んでいること。
……rainy day ……City
……in my way ……City
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そして、使われる形容詞の先頭のアルファベットが揃っていることです。
softly, sweet, so silently
tender, tough, too tragic
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とくにこの後者の作詞センスは素晴らしいと思います。そのせいか、ピーターの歌い方もとても小気味良く聴こえます。
また、オセロ・モリノー、リロイ・ウィリアムスによるスティール・ドラムの客演も見事です。雨粒が落ちるさまか、はたまた、きらきらと輝く晴れ間を表しているかのようで、曲に華麗な響きを与えてくれています。
しかも、2000年の日本公演で、作者であるロバート自身がボーカルを担当して演奏してくれことは、まだ記憶に新しいところですよね。
ところで、その2000年の公演でも披露されたこの曲は、"98年バージョン"とも言うべきもので、76年発表のオリジナル・バージョンとは、歌詞が若干異なります。
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ANOTHER RAINY DAY IN NEW YORK CITY '98
Q&A 歌詞に関する疑問
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19
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IF YOU LEAVE ME NOW
愛ある別れ |
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PETER CETERA |
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76年、『シカゴX(カリブの旋風)』収録。
デビュー以来7年目にしてはじめて獲得したNO.1ソングです。3枚目のミリオン・セラーともなります。
10作目のアルバム『シカゴX(カリブの旋風)』は、その制作過程において、よくある「あと1曲足りない」という状況に追い込まれました。そこで、半ば即興的に録音されたのがこの"愛ある別れ"なのです。もっとも、1日や2日で出来たものではもちろんないと思います。とはいえ、そういう経緯なので、この曲に後付けされた部分は全般に流れるストリングス・パートなどごく限られたもののようです。
そのストリングスのアレンジは、映画の背景音楽などで有名なジミー・ハスケルが担当しています。
内容は、情けないくらい女々しい優男(やさおとこ)の語りです。≪今君が去ると僕はとても大きなものを失う。だから、お願い、行かないでおくれ・・・≫。でも、こういう歌を歌わせたらピーターの右に出る人はいないのではないでしょうか。
しかし、この曲が元で路線の違いが明確になるという副作用を生じます。つまり、あくまでもロックンロールを地で行きたいとするグループ全体の意志と、のちのAOR路線につながるバラードを所望するピーターの嗜好との違いがこの曲を前後にもはや決定的となります。
もともとアルバム志向のバンドであるとはいえ、世間やバンドの路線が自分の思惑から外れていく様子について、ロバートやテリーは相当歯がゆい思いをしていたようです。こうして、後に『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』以降でさらに“売れてしまった”バラード曲の数々もあいまって、シカゴは自らが思うイメージとの違いに苦慮することになります。
とはいえ、この"IF YOU LEAVE ME NOW"は、単純に素晴らしいと評価できる曲ですよね。メンバーももっと素直に捉えて欲しかったなあ〜、と思えてなりません。もっとも、ライヴではとても楽しそうに演奏してくれていて、この曲が大好きな私としてはとても嬉しく思っています。
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Q&A 歌詞に関する疑問 |
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