85年のピーター・セテラ脱退劇に少なからず動揺したファンも多かったことでしょう。例に漏れず、このときの私は、ひたすらショックで打ちのめされていたのでした。「ソロでもグループでもぜひ頑張って欲しい!」と願うのが精一杯だったような気がします。
ところが、ピーターの方は、ソロ・アーティストとしてのキャリアを着実に重ねていくのに対して、グループとしてのシカゴはややとり残されていく感がありました。
そんな中で、シカゴの方も、新たな血路を開くべく、オーディションで、若いが経験豊富なベーシスト、ジェイソン・シェフを採用します。
そして、このジェイソンを迎えた新生シカゴは、ピーターのソロ・ヒット"GLORY OF LOVE"がNO.1を記録して、トップ10圏外に落ちた86年8月に、なんと自らの大ヒット曲"長い夜"のセルフ・リメイクをアルバム『シカゴ18』の先行シングルとしてカットします。この新"長い夜"は初登場第81位と比較的下位でしたが、それでも、その週のホット・ショット・デビュー(その週の初登場曲の中で一番上位の曲)でしたから、ファンの期待は大きかったと言えるでしょう。
しかし、新"長い夜"は、ものすごい勢いでトップ40近辺まで駆け上がってきたにもかかわらず、突如として、第48位でその勢いがバッタリと止まってしまいます。実に不思議でした。「来週は、来週は・・・」と待ち続けたものの、結局、その第48位に3週間もとどまる異様な結果に終わります。これはショックでした。「ファンの期待に乗ってはじめは調子良かったが、途中でそのファン自身が曲の内容にガッカリしたのでは?」と思ってしまったからです。このチャート成績には正直「あ〜、まずいなあ〜」という印象を持ちました。
一方、ピーターの方は、エイミー・グラントとのデュエット"THE NEXT TIME I FALL"をその年の暮れに再び全米NO.1ヒットに押し上げます。このピーターの活躍振りはまさに目を見張るものがありました。
一方、このような経過から、グループとしてのシカゴにますます危機感を抱いた人も少なくなかったはずです。
しかし、新"長い夜"でコケた後のシカゴの立て直しも結果的には速かったのです。直後の10月に、本曲"WILL YOU STILL LOVE ME ?"をシングル・カットしたわけです。
ところが、これがまた異様なまでのスロー・ペースでした。当時としては決して珍しくはなかったのですが、上位に行くまではかなりの時間を要しました。じわっじわっと上がり、年を越した87年2月、もはや忘れようかというときに、トップ10内に入ります。しかし、面白いことに、この上位に来て急に加速し始めるのです。あれよという間に堂々の第3位を記録します。このときの第1位はボン・ジョヴィの"リヴィン・オン・ア・プレーヤー"で、当時の彼らには太刀打ちできる術もありませんでしたが、本当にホッとしたことだけ妙に記憶に残っています。また、プロモーション・ビデオの製作(ないし国内搬入)も遅れていまして、もはや「作らないのかな?」と思ったくらいで、非常にヤキモキさせられました。
≪ありのままの自分を受け入れて欲しい≫、≪2人の心は運命で結び付けられている≫、≪キミの残りの人生中、僕を愛していると言っておくれ≫、≪1人じゃ生きて行けないんだ≫と、歌詞も分かりやすく、とても感動的な歌でした。
ジェイソン・シェフのヴォーカルは、嫌でもピーターと比較してしまうところですが、今改めて思うと、当時は間伸びして聴こえた声も、とても広がりのある大らかなヴォーカルだということに気付きます。出だしのかすれた感じなどは当時弱冠24歳とは思えないささやき方、テクニックです。
後半のビル・チャンプリンとのダイナミックな掛け合いはとても力強く、この頃流行り出したいわゆるパワー・バラード路線を地で行きます。
この曲のヒットを契機にして、シカゴはさらにシングル・ヒットを連発することになります。その意味では、"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"あるいは遠く"ALIVE AGAIN"に通じる起死回生的な楽曲となりました(と思う)。
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