バイオグラフィ 1978〜1981
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総評

1978年から1981年までの、コロムビア時代末期です。アルバムは12作目『ホット・ストリート』から15作目『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』までです。

テリーを失ったシカゴは新生し、一時躍進しますが、その後の活動は低調の一途をたどり始めます。

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1978/9

12作目『ホット・ストリート』をリリース。ここでは従来のナンバー・タイトルをあえて不踏襲。

プロデューサーは、解雇したJ.W.ガルシオに変わり、ビリー・ジョエルなどで有名なフィル・ラモーンとシカゴ自身が共同で担当。

夭折したテリー・キャスの後任には、スティーヴン・スティルス・バンドに在籍したこともあるドニー・デイカスを起用。

絶望的な状況を打開すべく心機一転したシカゴ。シングル"ALIVE AGAIN"は文字通りシカゴの蘇生を印象付けることに。


ところで、シカゴのメイン路線になりつつあったバラード曲のシングル・カット化傾向は、反面、アルバムの成績にジリ貧を強いるようになります。

11作目の『シカゴ XI』以降のアルバムのチャート上の成績はハッキリ言って芳しくありません。トップ40圏内の滞在週を振り返って見ると以下のようになります。

11作目『シカゴ XI』 10週
12作目『ホット・ストリート』 10週
13作目『シカゴ13』 5週

しかし、この後、続く14作目『シカゴXIV』は最高位が第71位で、トップ40内にも入らず、さらに、15作目『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』に至っては最高位が第171位(以前には第199位との記載もあり)と、100位以内にもランクインされないという有様でした。

1979/8

13作目『シカゴ13』を発表。前作『ホット・ストリート』同様、フィル・ラモーンとシカゴが共同でプロデュース。

70年代後半のディスコ・ブームの余波を受け、シカゴもディスコ・サウンドを導入。

このあたりからシカゴのシングル・セールスは一気に低調に転じます。

しかし、内容としては軽やかなリズムにとても心地良い印象を受けます。

1980/2 新加入のドニーが、アルバム2枚で早くも解雇されます。
1980/7

14作目『シカゴXIV』をリリース。プロデューサーには、当時ロッド・スチュワートとの仕事が最高潮だったトム・ダウド(故人)を起用。

しかし、そのアルバムは、チャート、セールスともに散々な結果に。当時の音楽的趨勢がシカゴにとっては不運に作用し、そのせいか、レーベル側もプロモーション活動には非常に消極的であったことが影響したようです。

内容的には、もっぱらピーター・セテラの曲が用いられ、初期のシカゴとは様相を異にする体制になりつつありました。

全体的に、複数のブラスによる重厚な曲作りが影をひそめた感を受けます。しかし、裏を返せば、ありし頃の、シンプルで、ストレートなロックンロールが展開されている、と評価できそうです。とくに、ギターやドラムなどのリズム・セクションの活躍振りには目を見張るものがあります。

アルバムとしての統一感は欠けているかもしれませんが、収録曲は各メンバーの個性がそれぞれ如何なく発揮されていて、あらためて聴いていただきたい1枚です。

1981/2 ラウヂール・ヂ・オリヴェイラが解雇されます。
1981/11

15作目『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』をリリース。シカゴの中期のヒット曲を中心に構成。

しかし、選曲にメンバーの関与はないようで、成績らしい成績も挙げることができませんでした。

つまり、当時のシカゴを巡る状況は最悪。その黄金の歴史に幕が降りる日が近づいていた・・・、それが世間一般の見方だったかもしれません。

そのような中、当のシカゴは、このベスト盤発表後、正式に古巣コロムビアを離れ、あらたにワーナー傘下のフル・ムーンというレーベルに移籍することになります。さて、シカゴは一体どうなってしまうのでしょうか・・・。

つづく