ピーターは、10歳の頃にまずアコーディオンに興味を示したようです。その後、ギターより弦の2本少ないベースに惹かれ、高校の半ばくらいから頻繁にバンド活動にいそしんだということです。
少年の時分よりヒット・チャートが大好きだったピーターは、ここでもTOP40音楽のカバーなどを中心とした演奏に没頭します。やがて60年代中期にビートルズが出現すると、彼はもっぱらポール・マッカートニーを懸命にコピーするようになります。
そして、高校の終わりに、地元シカゴでは名の知られたクラブ・バンド、ジ・エクセプションズに参加し、4年余り行動を共にします。
やがて、このジ・エクセプションズにおける方向性の違いや、人間関係のいざこざに嫌気がさすようになったピーターは、何か新しい道を模索せざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
このうち、決定的だったのは、おそらく、バンドの方向性の違いという問題だと思われます。具体的には、オリジナルの楽曲を製作したいと願うジェイムズ・ヴィンセントたちと、せっかく手にした今の安定した生活を捨てる必要はないと主張するピーターとの対立が表面化してしまうのです(ここでピンと来た方は少なくないでしょう・・・。ピーターはシカゴ以前からこのように現実的、安定思考的な考えの持ち主だったようです)。そして、最終的にジェイムズ・ヴィンセントたちがこの方向転換を告げると、ピーターは「ぶち壊れてしまった」(ジェイムズ・ヴィンセントの自伝)そうで、その結果、その後「数ヶ月もすねて雲隠れしてしまった」(同)という話です。みんな若かったのですね。
一方、時を同じくして、シカゴの母体となるザ・ビッグ・シングは、ロバート・ラムの器用さに頼っていたオルガン備え付けのベース・ペダルに次第に物足りなさを感じ始めるようになり、本格的なベース・プレイヤーを探していたところでもありました。
そんなとき、彼らのいた地元シカゴでは、新人の登竜門として、バーナビーズというクラブがオープンします。ジ・エクセプションズもザ・ビッグ・シングも、ここでたびたび顔を合わせるようになります。
すると、上記のように、当時ジ・エクセプションズ内でうまくいっていなかったピーターは、このザ・ビッグ・シングというバンドを前にして、気持ちが動きます。この頃はまだジ・エクセプションズの方が格上だったのですが、ピーターは、わざわざ前座だったザ・ビッグ・シングを観るために早出したりもしたそうです。そして、ブラスを主体としたそのダイナミックな演奏にすっかり魅了されたピーターは、思い切って、このザ・ビッグ・シングへの加入を申し出ることになったというわけです。
但し、ジ・エクセプションズのメンバー、ジェイムズ・ヴィンセントによれば、この経緯については、若干の捕捉説明が必要となるようです。ジェイムズ・ヴィンセントは、その自伝の中で、次のようなことを語っています。すなわち、バーナビーズで双方のバンドが会した頃には、お互い、個々のメンバー間ではすでに知り合いもいるという状態だったそうです(例えば、ジ・エクセプションズのジェイムズ・ヴィンセントと、ザ・ビッグ・シングのテリー・キャスがとても仲が良かったのは周知の事実です)。ある日、バーナビーズでの演奏の合間にテリーと雑談していたところ、話題がピーターのことに及びます。つまり、テリーたちがベース・プレイヤーを探していることを耳にしたジェイムズ・ヴィンセントは、ピーターのことを強く彼らに推薦したのです。もちろん、ジ・エクセプションズが解散状態で居場所がなくなってしまったピーターのことを気に掛けてのことです。しかし、当初、テリーは、この推薦に気が進みませんでした。なぜなら、当時のピーターは若かったせいもあり、かなり扱いにくい存在だという評判が立っていたからです。ところが、実際呼び出して試してみると、ザ・ビッグ・シング側はピーターに好感触を得たようで、その結果、テリーたちは、このピーターをバンドに迎え入れることになるのです。
いずれにしろ、ピーターはこのザ・ビッグ・シングへの加入を決断します。おそらく、67年12月頃のことだと思われます。ここに、シカゴのオリジナル・メンバー7人が揃ったわけです。
シカゴのファースト・アルバム『シカゴの軌跡』においては、ピーターはもっぱらヴォーカルとベースを担当するだけでしたが、2作目『シカゴと23の誓い』からは作曲活動にも精を出し始めます。
ピーターの作風は、感性に訴えた甘美な叙“情”詩が多く、これを、あのハイ・トーン・ヴォイスで気分爽快に歌い上げてくれます。彼の印象的なヴォーカルはまさに天賦の才というべきで、その持ち味は、どのアルバムにおいても遺憾なく発揮されています。
また、ピーターは、70年代におけるシカゴのポップ志向をリードし、80年前後に一時後退したバンドの勢いを再び取り戻すなど、グループに多大な貢献をもたらします。
ですが、ツアーに追われたピーターは、85年5月、突如として、シカゴからの脱退を表明し、ソロ活動に入ります。
その後、80年代中期から立て続けにヒット・ソングを生み出しますが、90年代に入ると、ややヒット・チャートからも遠ざかってしまいます。
しかし、ピーターは、現在でもアルバムを発表し、マイ・ペースながらその活動に絶え間はありません。
2003年夏には、久々のツアーにも出ています。その後も、不定期的にコンサートを開催しています。中でも、ショーの終了後、ファンとの記念撮影や食事会に応じる機会が増えています。これらの事実からもお分かりいただけるように、ピーターは実にファンを大切に思ってくれています。
また、2004年には、自身初のクリスマス・アルバム『YOU JUST GOTTA LOVE CHRISTMAS』もリリースして相変わらず健在振りを示しています。このアルバムの中では、愛娘クレア・セテラとの本格的なデュエットが実現しています。
一方、2007年現在でも、ピーターは曲を書いています。それほど遠くない未来にピーターのニュー・アルバムがリリースされる可能性もなくはないでしょう。
なお、ピーターとコミュニケーションを図りたいという方は、ぜひとも彼のオフィシャル・ウェブサイトをご訪問ください。
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