ディスコグラフィ   ロバート・ラム(04)

SUBTLETY & PASSION (2003/8)
ROBERT LAMM

曲目 [日本国内盤未発売]
ロバート・ラム
総評

試聴♪

Produced by ROBERT LAMM & HANK LINDERMAN

曲目 <国内盤未発売のため、邦題は単純にカタカナ表記にしてあります>
01 I COULD TELL YOU SECRETS アイ・クッド・テル・ユー・シークレッツ
02 SOMEWHERE GIRL サムホエア・ガール
03 THE MYSTERY OF MOONLIGHT ザ・ミステリー・オブ・ムーンライト
04 GIMME GIMME ギミー・ギミー
05 ANOTHER SUNDAY アナザー・サンデイ
06 FOR YOU, KATE フォー・ユー、ケイト
07 IT'S ALWAYS SOMETHING イッツ・オールウェイズ・サムシング
08 INTENSITY インテンシティ
09 YOU'RE MY SUNSHINE EVERYDAY ユア・マイ・サンシャイン・エヴリデイ
10 YOU NEVER KNOW THE STORY ユー・ネヴァー・ノウ・ザ・ストーリー
11 IT'S A GROOVE, THIS LIFE イッツ・ア・グルーヴ、ディス・ライフ
総評

2003年8月にリリースされた、ロバート・ラムのソロ第4弾『SUBTLETY & PASSION』。日本語読みすると、『サトルティ&パッション』となります。≪B≫は発音しません。

プロデュースは、ロバート自身とハンク・リンダーマンによる共同作業。この点、ハンクに確認しましたところ、一部の曲だけでなく、全曲とも2人でプロデュースしているとのことです。


このアルバムが発表された当時、すでにロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトの存在が一般に広く認識されていましたので、本人も気さくにフォーラムに登場し(現在はmyspaceが中心です)、ここを通じて、本作について実にいろいろなことを語ってくれています。

そこで、まずは、リリース前後のロバートのコメントから推察される、彼の今回のアルバム作りのコンセプトについてまとめたいと思います。

第1に、ボサノヴァをはじめとするブラジル音楽のスタイルを取り入れようとしています。2曲目"SOMEWHERE GIRL"、6曲目"FOR YOU, KATE"、11曲目"IT'S A GROOVE, THIS LIFE"などのサウンドはこのコンセプトの賜物でしょう。

第2に、シカゴの過去現在を含めたメンバーないし友人との共同作業により製作しようとしています。このコンセプトからして最大の目玉は、故テリー・キャスのギターをフューチャーした8曲目"INTENSITY"であろうかと思います。現メンバーも、都合のつかなかったビル・チャンプリン以外、全員が参加していますし、過去のメンバーであるクリス・ピニックの協力も仰いでます。また、歌詞の中身も、娘ケイトのこと、友人としてのテリーのこと、などプライベート色が強くなっているものが散見されます。さらに、今回の共同プロデューサーであるハンク・リンダーマン、あるいは、ゲスト参加のジェリー・ベックリー、ティモシー・B・シュミットらの豪華布陣は、すべてロバートの個人的なつながりが大いに反映された人選です。

第3に、自らが見聞きした日頃の事象を歌詞の中に織り込むというロバートの作詞手法は、世紀を超えても変わることはない、ということです。とくに、時期的なこともあって、4曲目"GIMME GIMME"や7曲目"IT'S ALWAYS SOMETHING"といった楽曲からは、2001年9月11日に起こった世界同時多発テロ事件以後のアメリカ社会に対するロバートならではの鋭い洞察を看取することができます。


このようなコンセプトのもとに製作されたと思われる本アルバムを、試聴段階ではじめて聴いたときの私の印象は、「シカゴであって、シカゴでない」といったものでした。強いて言えば、これが1つ目の私の内容総括です。

たしかに、シカゴ・ホーンズの参加によりブラスも響き渡っていますし、曲自体もはじめはシカゴ用に用意されたものもあるようです。

しかし、ロバートのソロである以上当たり前のことですが、ロバートの単独ヴォーカルが全般を占めています。そこには、シカゴ特有の掛け合い、すなわち、ビルやジェイソンとのパワフルでダイナミックな掛け合いはありません。むしろ、ジェリー・ベックリーティモシー・B・シュミットらとのウエスト・コースト的な、さわやかでやわらかいコーラスが美しいまでに決まっています。

また、ロバートのソロ・ワークと比較すると、第1弾の『SKINNY BOY』(74年)にみられたロマンティックな雰囲気が脈々と横たわりつつ、その上で、例のベックリー・ラム・ウィルソンによる『LIKE A BROTHER』(2000年)などで垣間見られた、すがすがしさを感じ取ることができます。私自身が、ジェリー・ベックリーの在籍するアメリカを、好きで聴いてきたこともあり、その流れでこの『SUBTLETY & PASSION』を聴くと、以上のようにシカゴとは異なって聴こえる部分が多々あるようです。

さらに、サウンド面で特筆すべきことは、上記ブラジルのラテン風味とともに、ポップス、ジャズ、フュージョン、そして、レゲエといった実に幅広い要素が含まれているということです。

加えて、現代のテクノロジーが至るところに導入されていることが分かります。まず、機材では、V-DRUMSの使用、また、音源修復では、テリーのギター音源を収蔵したメディアのクリーニング、さらに、製作では、ループなどのサンプリング技術の多用などなど・・・、今や珍しくもないこれらの作業が当然のように行われています。しかし、これが妙な陳腐さを感じさせないところが素晴らしいと思うのです。

“ロバートが、シカゴでできないことをする”、すなわち、様々な既成の枠を取り払い、なにものにも束縛されない、自由な音作りをしたい、そんな願いが形になったような気がします。これが私が感じたもう1つの内容総括です。


さらに、ロバートは、次のようなことも言っています。

ある日、キース・ハウランドが、「『SUBTLETY & PASSION』は、『シカゴV』以来のベスト・ロバート・ラム・アルバムだと思います」と語ったそうです。それに対して、ロバートも、「私も本当にそれに同意しています」と。本作はまさにそういった掛け値なしのRL作品です。


なお、文中、“ロバート・ラム本人のコメント”とあるのは、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトに掲載された彼のコメントを意訳かつ補充したものです。正直、翻訳には自信がありません。従って、間違い等は平にご容赦ください。



ところで、
当アルバムのタイトル、≪SUBTLETY & PASSION≫の意味について、ロバート本人がこんなことを語ってくれています。

このフレーズは、私の音楽的なアプローチを描写したものです。そして、それは、人生の転機で“あなたたちが直面する”試練や、万事尽くした結果に対して提示できる1つの回答でもあります」と。

このうち、≪subtlety≫という単語は、前後の文脈がないと大変訳しづらい言葉のように思えます。一例を挙げると、≪微妙≫、≪精妙≫、≪敏感≫、≪狡猾≫、≪不思議≫などなど―――、それだけでは把握しがたい感じのする単語なのです。

一方の≪passion≫の語は、もちろん、≪情熱≫や≪激しい感情≫のことを意味します。

個人的には、これら2語をロバートの哲学に合うよう、各自御検討いただくのが一番だという結論に達しました。というより、イマイチ把握できていないのです。すいません・・・。

歌詞やクレジットは、オフィシャル・ウェブサイトまで

タイトルの意味について

共同プロデューサー、ハンク・リンダーマンから日本のシカゴ・ファンへのメッセージ

01

I COULD TELL YOU SECRETS
アイ・クッド・テル・ユー・シークレッツ

ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

1999年頃、ニューヨークで製作にとりかかり、2年を費やして書かれた曲です。シカゴのアルバムのためにデモ録音を準備しようとしている一方で、サンタ・モニカ・スタジオで仕上げた作品です。但し、このシカゴのアルバムは結局レコーディングされませんでした。ブリッジとなるメロディと歌詞の部分は、パズルの最後のひとかけらに相当するものです

最初、歌詞を読んだときは、恋心を抱いた青年のもどかしい気持ちを表した曲のように映りました。≪花束を贈ったり、キャンディをあげたり、お話をしてあげたりもしたのに・・・≫、≪お手紙を書いたり、絵を描いたり、秘密を打ち明けたりもしたのに・・・≫、≪何時間も話したり、そのキャンディを食べたりもしたのに・・・≫、結局は、≪勇気がなければ、何にもならないんだよね≫という、つまるところ、物怖じしている主人公がいるのでしょう。でも、≪退屈なんかしない。このとびっきり基本的な恋の道にはね!≫と、そんな立場を楽しんでいるかのようでもあります。本来なら、女性の方が感じる乙女チックな心情で、ロマンティックな恋模様かもしれません。

なお、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトで発表されている歌詞のうち、サビに入る前後、≪How would you know ?≫、≪I could bring you flowers≫の部分は、それぞれ≪How could we know ?≫、≪I could send you flowers≫と変更の上、録音されているようです。ところが、自身のソロ・ライヴの模様を収めた『LEAP OF FAITH』の中では、≪I could bring you flowers≫と歌っており、オフィシャルに掲載された歌詞に従っています。

また、この曲では、ループという技法が使われています。これは、ある音素材をサンプリングして一定の間隔で連続再生するものです。この単調な繰り返しが人間の感覚に心地よく作用すると、いわゆる、頭から離れない音楽になっていきます。

このような技術的な仕上げが行われたという、サンタモニカ・スタジオとは、ロバートが所有するスタジオのことですが、もしかしたら、2003年10月に閉鎖されてしまったかもしれません。


一方、後半には、われらがジミー・パンコウと、ニック・レーンによる贅沢なトロンボーン二重奏が展開されています。ロバートの甘い声にばっちりフィットしているようにも思えますが、製作段階では、トロンボーンとヴォーカルの調整が難しかったとか。

このニック・レーンは、80年代からLAを拠点として活動しているトロンボーン奏者。往年から若手と、実に様々なアーティストへのセッション参加が多く、また、アレンジもこなします。近年、ジミー・パンコウがプライベート上の理由や療養のために欠場するときに、必ずと言っていいほど、その代役を果たしています。こうやって回転しているからこそ、シカゴは長続きしているのです。

ところで、アルバム・タイトルである≪SUBTLETY & PASSION≫の語は、本曲の中に登場します。このフレーズが意味するものについては、ロバート自身がこちらで語ってくれています。ぜひご参照ください。

02

SOMEWHERE GIRL
サムホエア・ガール

HANK LINDERMAN ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

プロデューサーであるハンク・リンダーマンが所有する、曲のアイデア・歌詞の宝庫、パーソンズ・グリーン・スタジオでの録音作業の中盤で書かれた曲です。彼は、ギター・コンセプトをジョアン・ジルベルト風に味付けしました。すると、曲は次第に完成形に近づいていったのです

何と言っても、≪somewhere girl≫という言葉の意味が捉えにくいです。≪どこかにはいるだろうけど、それがどこだか分からない、そんな彼女≫とでも訳すのでしょうか。はたまた、≪気まぐれ≫、≪鉄砲玉≫のような性格を比喩したものなのか、ニュアンス把握がとにかく難しいです。≪近くて遠い2人≫という歌詞からは、やはり2人は会えないのかもしれません。一方、≪今や彼女にとって心配事はどこ吹く風≫なんて表現からは、彼女の気ままな性格がうかがえそうです。


この曲の共作者は、ハンク・リンダーマン。そして、バック・ヴォーカルに、ジェリー・ベックリーティモシー・B・シュミットを迎えています。以下、彼らの簡略なプロフィールです。


ハンク・リンダーマン(ウェブサイトは途上)は、ロバートと共同でこのアルバムのプロデュースを手掛けることになった人物。90年代以降、主にウエスト・コースト系のアーティストとの仕事で頭角を表してきた、エンジニア兼ギタリストで、ミキシングもこなします。今回参加したジェリー・ベックリーの『VAN GO GAN』、ティモシー・B・シュミットの『FEED THE FIRE』などの製作にも携わっていますので、ロバートとも、彼らを通じてすでに顔見知りだったわけです。また、ロバートのコメントにもありますが、パーソンズ・グリーン・スタジオとは、彼の所有するスタジオのことであり、ここでハンクがプロデューシングする部分の録音が行われています。

なお、このハンク・リンダーマンの起用について、ロバートは以下のような回答をくれました。

ハンク・リンダーマンを共同プロデューサーに起用した私の選択は、もはや運命だったのでしょう。彼は、ものすごい感覚を持った、素晴らしいミュージシャンです。はじめは単に面識があった程度でしたが、今や確たる友人でもあります」。


ところで、私は大胆にも、当のハンク・リンダーマン本人に、今回のアルバムについて、「シカゴ・ファンへメッセージを!」とメールを打ってみました。すると、ありがたいことに、快く次のようなコメントを頂戴しましたので、掲載したいと思います。

ロバートのコンセプトについては、彼のページのメッセージ・ボードを参照してください。彼に代わって説明するのはさすがにちょっと無理です。私自身に関していえば、若者文化への興味とは対照的に、“大人向けの音楽”への関心、という点に自らよく言及していたことを思い出します。この点は、リスナーにも、もっと熱心になってもらいたいところなのですが、その見返りとして、(期待を込めて言うならば)歌詞と音楽の両方の中にある、より奥深いものを感じ取るようになることを意味しています。私はいつも、そのアーティストが今から5年先あるいは10年先に聴きたくなるようなCDを作ることを心掛けています」。


ティモシー・B・シュミットは、ご存知、ポコやイーグルスに籍を置いてきた人物。とくに、イーグルス時代の"I CAN'T TELL YOU WHY"に代表されるようなハイ・トーン・ヴォーカルが、聴く者を魅了します。

82年には、映画のサントラに提供した、名曲"SO MUCH IN LOVE"のカバーがスマッシュ・ヒット(第59位)。以降、日本ではCMに使用されるなど相変わらず高い人気を誇っています。

イーグルスが82年に解散すると、ティモシーもソロ・ワークに従事しますが、アルバム製作よりも、むしろ他人のアルバムへのゲスト参加などの活動を精力的にこなすようになります。また、後年94年になってイーグルスが再結成されると、ティモシーもこれに加わり、以降のツアーでも大成功を収めています。

ティモシーは、翌95年に、アメリカのジェリー・ベックリーのソロ・アルバム『VAN GO GAN』にゲスト参加しますが、このときの共同プロデューサーがハンク・リンダーマンであり、他の参加アーティストがロバート・ラムやジェイソン・シェフだったのです。旧来から交流のあった、ティモシー、ジェリー、ロバートの3者がアルバムという形で相まみえた貴重な瞬間でした。なお、ティモシーは、2001年に久々のソロ・アルバム『FEED THE FIRE』をリリースしていますが、この中にはハンク・リンダーマンとの共作品が収録されています。


加えて、ロバートのコメントに登場する、ジョアン・ジルベルトについて。彼は、ブラジル出身のボサノヴァ界の大御所です。50年代後半から、アントニオ・カルロス・ジョビンらとともに一大ブームを巻き起こします。ヨーロッパのムーディな音楽に通じるウィスパー・ヴォーカル、華麗で繊細なギター・テクニックで、世界中のファンを魅了しています。≪SOMEWHERE GIRL≫に出てくる彼女に負けないほど気まぐれなことでも有名だとか。

ロバート・ラムは、10代の頃に、このジョアン・ジルベルトが、テナー・サックス奏者のスタン・ゲッツと共同製作したアルバムを聴いたことがあり、それ以来、ブラジル音楽に陶酔しているようです。

ちなみに、ロバートがこの新譜を米国でリリースした頃、日本では、当のジョアン・ジルベルトが来日公演を開催していました。“1931年生まれのジョアンが2003年9月にして初来日”という仰天するニュースでもありました。

03
THE MYSTERY OF MOONLIGHT
ミステリー・オブ・ムーンライト
JEFFREY FOSKETT ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

ビーチ・ボーイズとシカゴのジョイント・ツアーや、のちのカール・ウィルソン基金のショーなどにおいてジェフリー・フォスケットと一緒に仕事をした後、私たちは、ついに2〜3の良曲を共作しました。この曲は、自然体で簡単に作れたときに、いいなと思える曲の1つになっていくでしょう。もともとは、2000年に、シカゴ用にデモ録音されましたが、結局はレコーディングされず、2002年から2003年にかけてマスター・レコーディングされたのが本曲です

≪暗闇の中から自分の心を解き放し、そして、光の中へキミと一緒に踏み出すことができるだろうか?≫。まさに、≪月光の神秘≫に魅せられた幻惑的な歌詞。

ジェイソン・シェフジェリー・ベックリーティモシー・B・シュミットの豪華3ヴォーカリストによる、≪And the myst'ry of life is the myst'ry of love. And I wonder how it slips away≫という息継ぎのない、高音コーラスには脱帽。


共作者のジェフリー・フォスケットは、カリフォルニア州サンホゼ出身のヴォーカリスト兼12弦ギタリスト。

彼の紹介は、ブライアン・ウィルソンの彼に対する賛辞から始めなければならないでしょう。周知のように、ブライアンはビーチ・ボーイズのツアーに同行しなくなって久しいわけですが、そのブライアンの代わりに、80年代を中心にサポート・メンバーとしてグループに参加していたのが、このジェフリー・フォスケットなのです。そのハイ・トーン・ヴォーカルは実にすがすがしく、ブライアン自身の強力プッシュのもと、ブライアンのパートを任されるようになります。ブライアン曰く、「ジェフリーは頼みの綱だ」ということだそうです。ブライアンが尊敬するアーティストとして名を挙げられるジェフリーですが、当人としては恐縮しきりな模様です。

さて、一方、ロバート・ラムとこのジェフリー・フォスケットの出会いですが、確定的なことは分からないものの、おそらく“ビーチャゴ”(以前は“ビーチカゴ”の命名で有名)と銘打ったシカゴとビーチ・ボーイズの合同ツアー(89年)などがキッカケになったのではないでしょうか。もっとも、LAにいるミュージシャンとして名前くらいは知っていたかもしれません。また、後年95年には、ジェリー・ベックリーのソロ・アルバム『VAN GO GAN』にも参加しているので、そこで会する機会もあったでしょう。そして、2000年、ついに、ジェフリーとロバートは楽曲上で共演を果たします。それが、ジェフリーのソロ・アルバム『12&12』に収録された"LIVING ALONE"という良曲です。これには、ロバートも、ヴォーカル、ピアノ、オルガン、ストリング・アレンジメントと、全面参加しています。

その他、ジェフリー・フォスケットの情報については、こちらのサイトがお役に立ちます。そこでは、2004年にニュージーランドで披露された本曲"THE MYSTERY OF MOONLIGHT"の映像をご覧いただくことができます。


この曲でテナー・サックスを披露しているラリー・クリマスは、LAを中心に活動するサックス・プレイヤー。80年代に一時、デイヴィッド・ガーフィールドが主催する、ジャズやフュージョンその他あらゆる音楽をブレンドしたバンド、カリズマ(KARIZMA)に在籍。面白いことに、このバンドはもしかしたら本国よりヨーロッパ圏における方が支持を得ていたかもしれないという異色の傾向を持ちます。ラリー自身もアルバムを1999年にリリースしており、シカゴからはビル・チャンプリンとジェイソン・シェフが参加していました。

04

GIMME GIMME
ギミー・ギミー

HANK LINDERMAN ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

パーソンズ・グリーン・スタジオでのセッション中に、ロバート・ラムとハンク・リンダーマン共同名義で書かれた2作目の作品です。私たちは、オスカー、エミー、グラミー、VH1、MTV、ピープルズ・チョイス、アメリカン・ミュージック・アワード、ゴールデン・グローブ、カントリー・ミュージック、ラテン・グラミー・・・等々の、テレビでの授賞式ショーがひどく乱発していることを描こうとしています。それらはどれも馬鹿げたものばかりでした。とくに2001年9月11日の同時多発テロの余波の下では・・・。私たちが優先すべきことはもっと他にあるのではないでしょうか?

内容は、ロバートのコメント通り。≪眠い目をこすって見るに値する賞もない。子供の教育のためになる賞もない。ましてや、子供も楽しめるような賞でもない≫、≪賞をくれ。金をくれ。とにかく何かくれ。せめてキミ個人の殿堂にでもいいから入れさせてくれ≫といった、痛烈な批判、かつ、あえてしたであろう品のない言い方になっています。それだけ、テロ受難という悲劇そっちのけで授賞式流行りしている現状にうんざりしているということなのでしょう。

この曲は、アルバムの中でも1、2を争うギター・ソングです。共同プロデューサーのハンク・リンダーマンのほかに、現シカゴのキース・ハウランド、そして、元シカゴのクリス・ピニックが、それぞれエレキ・ギターで共演しています。それに釣られてか、ロバートのヴォーカルも力感あふれています。まるで吐き捨てるような勢いさえ感じます・・・。

05

ANOTHER SUNDAY
アナザー・サンデイ

GERRY BECKLEY ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

友人のジェリー・ベックリーは、とても才能に恵まれたソングライター、ミュージシャンでして、アメリカというバンドの結成当初からのメンバーでもありますが、そのジェリーがシカゴのニュー・アルバム用にこの曲を書き始めてくれました。その歌詞の含意は永遠に理解できそうにありませんでしたが、ジェリーは、早くからこのハーモニーとメロディの組み合わせを構想していたようです。2002年から2003年にかけてレコーディングされました。私たちは、もはやそれを受け容れるかどうかを気に留めないほど長年にわたってツアー活動に精を出してきていますが、それぞれいまだにツアーに出ている者同士でもあります。それには、お互い多大な犠牲を払ってきたように思います

まずは、出だしのアコースティック・ピアノに心を奪われます。ジャズ風でダイナミックに流れるようなタッチは、80年代以降のロバートの作風にはあまり見られなかったものです。肩の力を抜いて、脱パワー・バラード的な意図でもあったのでしょうか。とにかく、心地良いの一言です!

≪another sunday≫ということは、≪もう1つの日曜日≫とでも訳せばいいのでしょうか?もしかしたら、自分が実際に生きている日常とは違った、空想上ないし願望上の日曜日の過ごし方を描いたものなのかもしれません。

ロバートもジェリーも、それぞれいまだに現役バンドとして、長年休むことなくツアーに出ています。そういった日常は常人の想像を超えるものがあるのでしょう。この歌は、いわば、そんな日常からの逃避願望と、結局は、待ってくれる人たちのために頑張ろうという意気込みとを、語ったもののように映ります。

もっとも、上記コメントにあるように、肝心のロバート自身が「歌詞の含意は永遠に理解できそうにありませんでしたが」と述べているので、ましてや、私の解釈にはまったく自信が持てません・・・。


共作者のジェリー・ベックリーは、"名前のない馬"、"金色の髪の少女"で知られるフォーク・ロック・グループ、アメリカのメンバーです。

68年とも69年とも、はたまた70年とも言われる結成当初は、ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークのトリオ形式でしたが、77年にダンが脱退してからは、ジェリーとデューイのデュオ形式に移行。さわやかなハーモニーとアコースティックなギター・ワークで、70年代を席巻。シングルやアルバムをヒットさせた時期が72年、75年、とシカゴと重なり合い、しかも、一時の低迷を経た上で82年にシーンに返り咲いた点まで共通するという妙縁があります。彼らは、いまだに現役で、ツアーを中心にしつつ、アルバムもリリースするという精力的な活動を展開している長寿バンドとなっています。なお、蛇足ですが、彼の息子、マット・ベックリーが2003年にCDデビューしています。まったく、時の経つのは早いものです・・・。

このジェリー・ベックリーとロバート・ラムが共演するキッカケとなったのが、例のベックリー・ラム・ウィルソンというプロジェクトです。

そもそも、このプロジェクト自体、ロバートのソロ・アルバム製作過程と深く関わっていました。ロバートが、91年頃に、ソロ2作目となる『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年発表)の製作にとりかかっていたところ、そのプロデューサーであったフィル・ラモーンがあるデモ・テープを持ち込みます。それが、ジェリー作の"WATCHING THE TIME"だったのです。もっとも、ロバートは上記ソロ作を自作曲のみで仕上げたいという意向があったため、この曲は同ソロ・アルバムには収録されませんでした(その後の経過については、こちら)。

とはいえ、この接点が功を奏し、お互いの交流が親密になります。90年代以降は、当のベックリー・ラム・ウィルソンをはじめ、双方のソロ作、または、アメリカのアルバムにおいて、2人の名前を頻繁に見掛けるようになります("KISS OF LIFE"、"HIDDEN TALENT"参照)。

この頃になると、両者ともに音楽の拠点をLAに置いていたため、周囲のミュージシャンも多数共通しており、大変興味深いものがあります。今回、このロバートのソロ第4弾『SUBTLETY & PASSION』の製作に携わっている人たち、例えば、プロデューサーのハンク・リンダーマン、共作者のジェフリー・フォスケットパーセノン・ハクスリーマーティー・グレッブ、さらにバック・コーラスのティモシー・B・シュミットなどは、いずれもロバートあるいはジェリーの人脈に頼るものです。それに、シカゴ側からも大半のメンバーが助っ人参加しています。そういった意味で、ファミリー的なアルバム作りと言っていいでしょう。

06
FOR YOU, KATE
フォー・ユー、ケイト

ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

ソロ・アルバム『IN MY HEAD』(1999年)用の曲を書いている最中、私はこの曲をニューヨークで書き始めました。もちろん、この曲は、私の次女についての曲になることが分かっていました。すでに、長女のサーシャについての曲も書いていたからです。従来、私がブラジルのボサ・ノヴァ音楽のとりこであることは周囲には知られていましたが、今回、友人であり、プロデューサー業にあるジョン・ヴァン・エプスも、この美しい音楽を自分なりの解釈でアルバム全体に取り入れてみないか、と提案してくれました。まあ、結局それは実現しなかったのですが、デモ録音に入る2001年まで、個々の曲上ではそういった作業は続けられました。マスター・レコーディングは2002年から2003年にかけて再開されました

ロバートが自身の娘さんのことを歌うのは、これが2回目です。1回目は、ソロ3作目『IN MY HEAD』に収録されていた"SACHA"という曲で、このサーシャは長女です。そして、このたび、次女のケイトのことをモチーフにした曲を作ったというわけです。なお、この下にさらにショーンという女の子がいます。いずれにしろ、ロバートはプライベートなことは自分たちだけのものにしたがっているのようなので、これ以上あまり言及しないように努めたいと思います。

ところで、面白いことに、前回の"SACHA"の中には、サーシャの目の色が≪青い≫ことを示す歌詞が含まれていましたが、今回のこの"FOR YOU, KATE"では、ケイトの目は≪緑色≫とされています。でも、それは、続いて≪海の青さ≫にたとえられているので、やはり、青みがかった綺麗な色をしているのでしょう。他にも、サーシャのお母さんにあたるジュリー・ニニの瞳の色は、≪青い≫とされていたり("BRIGHT EYES")、ロバートって、女性の目に惹かれるのかな?なんて思いました。いやいや、そんな野暮なことじゃなく、父親としてのあたたかい眼差しが、子供の目へと自然に向かうのでしょうね。

その父親としてのあたたかさは、歌詞全編に表れています。≪キミを待っていたんだよ、ケイト。とても待てやしなかったんだ。はじめてキミを見たとき、誓って言うけど、お父さんのハートは何をすべきか分かっていたんだ≫。≪キミが微笑むと、冷え切った心も温かくなる。キミがしゃべると、電話口では“ミス魅惑”って感じだよ。ツアー中に、「パパに会いたい!」なんて言われると、飛んで帰りたくなっちゃうよ≫などなど・・・。誠に羨ましい限り。

音楽面では、ロバートがコンセプトとして持っていたブラジル音楽風アレンジが生きています。ロバートがパーカッション・ワークを共同製作している点も興味深いです。

共同プロデューサーのハンク・リンダーマンは、この曲を評して、「エルヴィス・コステロを思い起こさせる」と言っていますが、たしかに、コステロが歌唱する"SHE"なんかを彷彿とさせます。

いろんなジャンルに果敢に挑戦するロバートの姿勢には頭が下がります。逆に、この姿勢があったからこそ、シカゴの各アルバムは様々な要素からなるのだな、と思うのでした。

07

IT'S ALWAYS SOMETHING
イッツ・オールウェイズ・サムシング

TRIS IMBODEN ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

ドラマーのトリス・インボーデンは、大変素晴らしいミュージシャンで、私は、あるアイデアを持っていました。それは、グルーヴ感あふれるドラムをバックにした、アカペラ風のヴォーカル作品を2人で共作できたらいいな、というものでした。私たちは、サンタ・モニカ・スタジオで会し、そこで彼が演奏する“V-Drums”の録音を行いました。私がそれにハーモニーやメロディをいくつか付け足した上で、2人で腰を落ち着けて歌詞を書き出しました。それが2001年9月11日の同時多発テロの直後のことでした。この曲は、それに対するひとつの返答です

ロバートのコメント通り、この曲の歌詞世界は、例の同時多発テロ以降の生活を描写しているようです。≪“あの日”以来、生活は一変したようだ。空気も違うし、“何か”が変わった。心は休む間もなく、どこか上の空・・・≫。

ニューヨークはブルックリン出身のロバートがこの事件から受けた衝撃は計り知れないものがあります。

≪Everyday it's always something≫というサビからは、毎日が何かこう満たされない、あるいは、空虚なものに支配されている、といったニュアンスが伝わってきます。

最後の一節を直訳すると、≪明日の何かが何になるんだろう?≫ということになるのでしょうけれど、結局、これは≪明日のことは分からない≫、そんな悲観的な思考に陥っている心情を表わしたものかもしれません。

ところで、後半の歌詞について、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトでは≪Future shaky≫と記載されている部分がありますが、実際には≪Future scary≫と歌っているように聴こえます。違っていたらごめんなさい。

この曲の共作者はドラマーのトリス・インボーデンキース・ハウランドとのサイド・ワーク、“ハウランド・インボーデン・プロジェクト”においては、もしかしたら作曲活動にも加わっていたかもしれませんが、ロバートとの関係では、おそらく初のコラボレーションでしょう。

トリスの操るV-Drumsは、ローランド社製のエレクトロニック・ドラムの名称。いわゆる電子ドラムで、パッドを叩く形で演奏します。MIDI出力に対応しており、シンセサイザーとの相性に優れているとのこと。

トリスは、他にも印象的なハープ(=ハーモニカ)の挿入でこの曲の描写したがっている空虚な雰囲気に大いに貢献しています。歌詞とは別に、このハープの音色だけ追いかけて聴いても面白いです。

08

INTENSITY
インテンシティ

ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

これは、まさにアルバム全体のコンセプトを想起させる曲です。だいたい1972年頃(!)・・・の私のオリジナル・ソングのデモが元になってできました。繰り返し言いますが、1972年に、カリフォルニアはレセダにある、ファット・チャンス・スタジオにおいて、テリー・キャスのギター・ソロが録音されています。オリジナルのマルチトラック・テープは長いこと紛失したままですが、私は、そのコピーのコピーをカセットで発見したのです。ハンク・リンダーマンは、魔法使いのように見事、これらの音楽媒体の変換やクリーニングをしてのけてくれました。私は、曲の書き直しを終え、アコースティック・リズム・ギターのトラック部分を演奏し、一からアレンジを構築しました

今回、ロバートは、“シカゴの過去現在を含めたメンバーとの共同製作”をコンセプトの1つに掲げていたようで、その志向が上記コメントの中にも表れています。この曲では、78年に他界したテリー・キャスの未発表ギター・ソロの挿入という形で体現されています。

その注目のギター・ソロは、1分51秒から始まります。ギターの種類が違うからなのでしょうが、それでも、やはり、テリーの演奏は一味違いますね。もともとはロバートが72年に書いた曲のために用意されたもののようですが、その曲名など詳しいことは分かりません。もしかしたら、そのときも"INTENSITY"というタイトルだったりして???

内容は、≪intensity≫、つまり、非常に激しく彼女のことを思っている主人公の話でしょうか。最後のくだりは、≪彼女のことを欲しがらなかった奴はいない≫、でも、≪俺以上に彼女のことを欲した奴もいないぜ!≫とあります。

ところで、すでにお気付きの方もいらしたかもしれませんが、海外のファン・サイトにおける指摘によって、判明したことが1つあります。

それは、この"INTENSITY"の出だしの一節が、72年の『ライヴ・イン・ジャパン』に収録されている"BEGINNINGS"のライヴ・バージョンの間奏部分で歌われていた、という事実です。その注目の部分は1分46秒あたりです。よく聴き取れませんが、おそらく、≪Intensity is the key, what I mean is that I found an answer≫と言っていると思われます。このゆったりした節回しが、やがてこの21世紀において、ロバートのソロ作品として激烈までの変貌を遂げるとは誰が予想したでしょう!とにかく、ビックリしました。

09

YOU'RE MY SUNSHINE EVERYDAY
ユア・マイ・サンシャイン・エヴリデイ

PARTHENON HUXLEY ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

パーセノン・ハクスリーと私は、友人となってもう15年も経ちます。彼は、稀に見る独創的なタイプのアーティストです。私たちは、多くを共作したわけではありませんが、一緒に仕事をするとなると、とても素晴らしいのです。私は、ライヴ・ミュージシャンたちと一緒に、その場で彼から作曲技術を学びました。これは、2人の男が天使たちに贈るラヴ・ソングです

いきなりのレゲエ調に面食らいます。その上、歌詞が意味するところも若干捉え難いです。しかし、それでも、曲として成り立っているのがすごい!

あえて歌詞の大意を探ると、絶望してさびしい思いをしたこともあったけど、今はキミがそばにいる。≪キミは、毎日僕の太陽≫。そんな感じでしょうか。やはり、イマイチ把握できていないですね・・・。


共作者のパーセノン・ハクスリーは、LAを拠点としているミュージシャン。ソロとして、または、P.HUXなるバンドを率いても、その活動を展開中。ギターを操りますが、近年は曲作りやプロデューサー業にも精を出しているようです。

パーセノン・ハクスリーは、作曲家を表彰する式典のバックステージで、初めてロバートに会ったそうです。そのとき、ロバートが自分のアルバムに興味を持ってくれて、そこから手紙のやりとり、やがては、共作活動が始まったとのことです。

本曲よりも先に、ロバートの"SCHITZOID"の製作に関わり、そこでは、コーラスにも参加しています。

また、3曲目の"THE MYSTERY OF MOONLIGHT"をロバートと共作者したジェフリー・フォスケットのアルバム『12&12』の製作にも尽力し、"BAZOOKA JOE"というパワー・ポップ・チューンを提供しています。

10

YOU NEVER KNOW THE STORY
ユー・ネヴァー・ノウ・ザ・ストーリー

MARTY GREBB ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

マーティー・グレッブが短期間ながらシカゴと一緒にプレイする以前より、私たちは、よく曲を書いていました。同じくシカゴという都市から出た才能ある人物です。テリー・キャスと私の、良き友人です。私たちは、彼の所有するマリブ・スタジオと、私のサンタモニカ・スタジオにおいて、この曲を書きました。この曲は、みなさんが知り得ないこと、すなわち、私たちや、私たちの友人、もしくは、愛する人たち、を駆り立てるものを、解き明かそうとした歌です

1〜2段落目で、マイルス・デイヴィスの音楽との出会い、3段落目では、他人の傷心や破れた夢、4〜5段落目では、テリー・キャスの悲劇について、それぞれ触れた上で、最終段落において、これら過ぎ去ったもののすべてが自らの一部であることに思いを馳せ、そして、これら在りしの日の素晴らしい思い出を現在の自分の糧にいて行こう、といった流れになっているようです。

従って、ロバートのコメントで、「みなさんが知り得ないこと」とあるのは、共作したマーティー・グレッブとロバートのみが共有する人生絵巻が歌詞に反映されたと思われる以上、当然のことなのかもしれません。ロバートはのちに、自身のフォーラムで、「この曲を聴くといつも胸が一杯になります」と語ってくれています。察するに余りあるとは、まさにこのことです。


そのマーティー・グレッブは、シカゴ生まれのキーボード/サックス・プレイヤー。自らヴォーカルをとることもあります。

グループのシカゴとの関係では、1960年代前半、ピーター・セテラと、地元のクラブ・バンドであるジ・エクセプションズにおいて活動を共にしたことが、おそらく初の接点だと思われます。

その後、彼は、"カインド・オブ・ア・ドラグ"(67年)の大ヒットを飛ばした直後のバッキンガムズに途中加入します。実は、このヒットのおかげで、まもなくバッキンガムズは大手のコロムビアに移籍することになるのですが、そこで迎えた新たなプロデューサーが、かのジェイムズ・ウィリアム・ガルシオだったのです。つまり、マーティー・グレッブも、ガルシオの人脈として、このバッキンガムズの転換期に招聘(しょうへい)された、と見て妨げないでしょう。そして、バッキンガムズの解散後は、一部に熱狂的なファンがいるファビュラス・ラインストーンズの一員として70年代の前半を送ります。

以降は、主にセッション活動に従事し、さらには、ブルーズ畑にも触手を伸ばしているようです。1999年には、初のソロ・アルバム『SMOOTH SAILIN'』をリリースしたりもしています。

なお、ビル・チャンプリンが加入する前の1980年から81年にかけて、サポート・メンバーとして、シカゴと一緒にツアーに出ていたこともあります。このとき、シカゴのメンバーたちは、ステージ上で、マーティーのことを「我々の(昔ながらの)友人です」と紹介していたそうですから、別段シカゴのメンバーとしてツアーに出たわけではないようです。

そして、今回、こうして、ロバート・ラムのソロ・アルバムに参加しているということは、マーティー・グレッブもLAを中心に音楽活動を続けていることの表れだと思います。

蛇足ですが、ロバートは、とくにソロ・アルバムを製作するにあたって、自身の個人的人脈をフルに活用することがあります。それは、お世話になった人たちへの御礼という意味も込められているのかもしれません。ロバートのソロ第1弾『SKINNY BOY』に収録された"CITY LIVING"にギターで参加したジェイムズ・ヴィンセントもその1人です。このジェイムズ・ヴィンセントは、上記のジ・エクセプションズに途中から参加した人物でもあります。また、マーティー・グレッブとは、ジ・エクセプションズ以前からバンド活動を共にしてきた仲です。

そして、このジェイムズ・ヴィンセントとマーティー・グレッブはいずれも、シカゴ界隈でクラブ・サーキットをしていた下積み時代からテリー・キャスと親交があり、しかも、この3者は妙にウマが合ったという話です。

11

IT'S A GROOVE, THIS LIFE
イッツ・ア・グルーヴ、ディス・ライフ

ROBERT LAMM

ロバート・ラム本人のコメント

1999年に、ニューヨークでとりかかった曲です。短命に終わった“ロバート・ラム・ブラジリアン・アルバム”企画の一部です。それは、"SCRAPBOOK"風のルポルタージュです。人は誰のために存在するのか、立場は何のために存在するのか、そんなことを考えるようになった時期に書かれたものです。2001年、シカゴ用のデモをレコーディングしているうちに書き終えました。マスター・レコーディングは2001年から2003年にかけて行われています

テクノとラテン・フレーヴァーが融合したような不思議な楽曲。

とてもリズミカルで、ノリの良い曲でもあります。しかも、タイトルの≪groove≫とは、まさにこの“ノリ”の意味。このグルーヴ感を生むために、サンプラーという機材によって気に入った音源を抽出し、ダンサンブルに仕上げるのがここ最近の音楽界の傾向でもあり、ロバートもこの技法によっています。また、同じ音源をループさせることで曲全体が円環的な構造をなすため、脳の片隅でリフレインし、知らず知らずのうちに曲のとりこになってしまいます。さらに、全体的にゆったりとした曲調が、ある種、心地良い“かったるさ”をもたらしてくれます。

自らが語り部になって、様々な人の人生を総観します。内容は私的な範疇に及びすぎて、もはや他人である私たちの把握できるものではないような気がします。

とはいえ、歌詞中の≪Joy≫とは、やはり、現在の奥様のことでしょう。ちなみに、彼女は、このアルバムのディレクターを担当してもいます。

以上のほか、この曲を聴いた元シカゴのドウェイン・ベイリーは、次のような推測を示しています。

≪drinker≫というのは、ひょっとするとロバート自身のことじゃないかな。ここ数十年アル中だから。≪schemer≫の≪Mackie≫は、自分としてはジェラルド・マクマホンのことだと思うな。彼とも仕事をしたけど、とてもアイデアマンで、いいドラマーなんだよ。そして、最後に出て来る、≪driver≫の≪Frankie≫は、長年シカゴのツアー・バスの運転手のことだろうね。フランキーは、かつてグリーン・ベレーにいた、タフだが実に気持ちの良いやつさ。巨漢でさ。以前、バスの中で彼の真横に座って、よく彼の話にぶっ飛んだものだよ。今まで一緒に旅をしたドライバーの中でもベストの部類に入る1人ですね


なお、本曲のように、人名とともにその人の人生を描写していくというスタイルは、ソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』に収録されていた"MY NEIGHBORHOOD"においてもすでに見られたところです。従って、歌詞の形式上は、この"MY NEIGHBORHOOD"の続編的な位置付けが可能かと思います。

ところで、単語≪groove≫を“ノリ”の意味に解すると、タイトルは、≪ノリだよ、この人生は≫ということになりそうです。しかし、どうもしっくりときません。むしろ、≪最高だね、この人生は≫とか、≪良いとこ来てるよ、この人生は≫といったニュアンスになるのでしょうか。なんとも訳しづらいところではあります。

それにしましても、最後尾の歌詞には、非常に興味をそそられます。ラップ調の早口でまくし立てていますが、ロバートのコメントに示唆されるような、“人生哲学”みたいなものが感じられるからです。

例によって、自分なりにかなり意訳しますと、≪話したくてたまらないんだ。運の良いことに、俺はまだ歩ける。悪魔から逃げることはできないけど、せいぜい仲良くすることだな。いたずらに急ぐと“審判の日”が近づくぜ。そう、“人生最後の日”がね≫。

とにかく、本アルバム中、一番好きな曲です。