ジム・ヴァランスは、カナダのヴァンクーヴァーを拠点に活動する作曲家。とくに同じカナダ出身のブライアン・アダムスとの一連の共作品が有名。
ロバートとこのジム・ヴァランスの接点については、当のジム・ヴァランス自身が克明に覚えており、自らのウェブサイトにて紹介してくれています。
それによりますと、シカゴは“1994年3月”に“ヴァンクーヴァーにおいてレコーディング作業”をしていたようなのです。ちなみに、この日付は重要です。つまり、あのお蔵入りとなったアルバム『STONE OF SISYPHUS』のリリース予定が“1994年1月”前後でした。そして、数ヶ月ずつ延期されていった挙句にとうとう発表が見送られた時期と重なります。
結局、時期的にはこのお蔵入り事件の直後、シカゴはここにいう“ヴァンクーヴァーでのレコーディング作業”にとりかかったことになります。
では、このレコーディング内容は何用に行われたものなのでしょう?
この点、シカゴは同時期に、どうやらブルース・フェアバーンと会していたようなので、次作『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』の準備的な作業をしていたのではないかと推測してみました。あるいは、レコーディング内容はともかく、同アルバムに見られるようなビッグ・バンド的なアイデアがこのときに閃いたのかもしれません。その後、実際に、この『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』が、ブルース・フェアバーンをプロデューサーに迎えて、1994年の12月(ヴァンクーヴァー。このとき使用したのはジム・ヴァランス所有のスタジオ)と1995年の1月(ロサンゼルス)に録音されていることも、これを裏付けようというものです。
さて、話は戻り、1994年の3月のヴァンクーヴァー。ジム・ヴァランスは、上記のブルース・フェアバーンと交遊があったこともあり、シカゴの面々と、それに、当時ジム・ヴァランスが一緒に仕事をしていたオジー・オズボーン(!)らと一同連れ立って、食事に出掛けます。
そして、数日後、ロバートの方から、共作の話を切り出したということです。デビュー時からシカゴのファンだったジム・ヴァランスは、驚きのあまり、この申し出にあたふたしてしまいます。しかも、ロバートはわざわざロサンゼルスから空路ヴァンクーヴァーに向い、この曲を2人で書き上げたのだそうです。
以上からして、本曲のサビ部分に登場する≪cuts like a knife≫という語が、偶然に使用されたものでないことにお気付きいただけるかと思います。ちなみに、もっと面白いのは、ロバートが"GOOD FOR NOTHING"においても、この≪cuts like a knife≫という語を使用しているということです。もちろん、ブライアン・アダムスの"CUTS LIKE A KNIFE"よりも後に、です。
しかし、一方で、肝心の歌詞の内容については、抽象的で、いささか把握しにくいものがあります。
人々は、毎日満たされない思いで過ごしているが、実は、今までの日々の生活こそ、まさに自らが追い求めてきた生活なのだ、という一種の哲学的観点が表れているような気がします。明日のことを考えても仕方がない。今日必要としていることだけを望めばいい。一瞬一瞬を大切にしよう。≪生活の中に愛を求めながら≫。と、こんな感じでしょうか。
いずれにしろ、ロバートとジム・ヴァランスのメッセージが込められていると思うのですが、決して悲観的なものではなく、一期一会的な発想がうかがわれます。
なお、この曲は、ロバートのオフィシャルでは"LOOKING FOR THE LOVE OF MY LIFE"というタイトルでクレジットされています。
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