ディスコグラフィ   ロバート・ラム(03)

IN MY HEAD (1999/7)
ROBERT LAMM

曲目 [日本国内盤未発売]
ロバート・ラム
総評

試聴♪

Produced by JOHN VAN EPS
cf. 上記アルバムは、2004年に未発表曲を追加して、『TOO MANY VOICES』として再発されています。

曲目 <国内盤未発売のため、邦題は単純にカタカナ表記にしてあります>
01 WILL PEOPLE EVER CHANGE ? ウィル・ピープル・エヴァー・チェンジ?
02 THE LOVE YOU CALL YOUR OWN ラヴ・ユー・コール・ユア・オウン
03 SACRIFICIAL CULTURE サクリフィシャル・カルチャー
04 WATCHING THE TIME GO BY ウォッチング・ザ・タイム・ゴー・バイ
05 SACHA サーシャ
06 THE BEST THING ベスト・シング
07 THE LOVE OF MY LIFE ラヴ・オブ・マイ・ライフ
08 STANDING AT YOUR DOOR スタンディング・アット・ユア・ドアー
09 SWEPT AWAY スウェプト・アウェイ
10 SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED (AGAIN) スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド(アゲイン)
総評

99年に発表されたロバート・ラムのソロ・アルバム第3弾。

ところが、後年2004年になって、『TOO MANY VOICES』と改題され、しかも、音源がデジタル・リマスターされて再発されました。この再発盤では、未発表のボーナス・トラック6曲が追加収録されています。

改題後のアルバム『TOO MANY VOICES』のページ
01

WILL PEOPLE EVER CHANGE ?
ウィル・ピープル・エヴァー・チェンジ?

ROBERT LAMM

いきなりのジャンク風サウンドに面食らった方もいらっしゃるかもしれません。

ありふれた日常の光景が淡々と語られていきますが、これらは、すべての生活が“カネ”を媒介として成り立っていることを指摘したものではないでしょうか。今は、あらゆるサービスが仕事の対象となりますが、本来、個々人の生活活動と思われるようなことにまで対価を払ってその仕事を成り立たせています。考えてみれば、それは不思議なことです。そんな皮肉とも、また、悲しき資本主義の側面ともとれるような情景を描き出しているように映ります。

こんな果てのない連鎖の中で生活する人々。≪人々はやがて変わるのだろうか?≫。混沌とした現代に対する素朴な疑問。そんな猥雑な雰囲気をかもし出すには、このジャンク的なイントロは一応の成功を収めていると言っていいでしょう。

ところで、本曲の製作時期は多年にわたっています。CDのクレジットには1993年と1999年の両年が併記されている一方、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトでは、これが1995年と記されています。つまり、1993年に製作された前作『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』のセッション中か、もしくはその後からとりかかった作品のようです。この90年代は、ロバートがニューヨークに生活の本拠を置いたこともある時代です(現在もそうなのかは不明)。その点からすると、この曲に表れる無機質な人々の仕事ぶりは、ニューヨークという大都会がモデルとなっていると見るのが穏当でしょうか。

02

THE LOVE YOU CALL YOUR OWN
ラヴ・ユー・コール・ユア・オウン

ROBERT LAMM GERARD McMAHON

壮大なスケール感を持つサウンド。アルバム・タイトルでもある≪in my head≫という語が登場する曲。と同時に、このアルバムの中で一番解釈に迷った作品でもあります。

大きくなっても≪あらゆる点で自分の心に忠実であろう≫と思っていた少年時代。しかし、いざ大人になってみると、ヘタな思慮が付いて、何をするにでも躊躇してしまうもの。言いたいことも言えなくて、≪たくさんの声にならない声(=too many voices)≫が、≪頭の中で(=in my head)≫こだまします。

かつて、≪とても簡単に思えたことが、実際にはこんなにも難しいものだったのか・・・≫という、落胆とも、もどかしい気持ちともとれる心情が歌詞にありありと表れています。

しかし、直後に、≪時を逃すな!瞬間を掴み取れ!そして、2度と時機を逸してはならないんだ!≫と叫びます。つまり、後悔しないためにも、尻込みをするな、といったところでしょうか。

そして、ここからが問題なのですが、これに続いて、≪The state of mind is everything about the love you call your own≫という歌詞が来ます。かなり迷いますが、ここは、≪心の持ちようで自分自身のことを愛せるようになるんだよ≫とでも訳しておきたいと思います。仮に、この解釈を前提とすると、自虐的に思い詰めず、ためらわなくていいよ、といったメッセージがひそんでいるのかもしれません。

一方、ロバートは後半で、≪キミは自分の帰属先を求めて人生の半分を過ごしてきた。しかし、突然、それがどこにあるか分かるようになる。キミの目の前にある、ということがね≫と結びます。そう言われると、なんだか安心しますね。

ちなみに、この曲、CDのクレジット上は1999年製作ですが、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトによれば、1992年となっています。前作ソロ第2弾の『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』の録音時にはある程度できていたわけですね。

03
SACRIFICIAL CULTURE
サクリフィシャル・カルチャー
ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

発達した文明社会。生活は物質的に豊かになり、災厄からも免れるようになりました。しかし、一方で、精神的な安定は得られていないのではないだろうか―――?そんな≪犠牲を強いる文化≫の中で必要とされることは何か?ロバートは、そんなときこそ、≪真実に立ち返れ≫と叫びます。

ちなみに、ロバートは、この曲に関するファンからの質問に対して、「(これは)自ら強迫観念に取りつかれた文化(について書かれたものです)。我々すべての人たちが、目には見えない何かを感じ取ろうとしなければならないのです」と答えています。

04

WATCHING THE TIME GO BY
ウォッチング・ザ・タイム・ゴー・バイ

GERRY BECKLEY

ロバート・ラムが、アメリカのジェリー・ベックリー、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと共に、“ベックリー・ラム・ウィルソン”というプロジェクトを結成するキッカケとなった曲です。

ロバートが、この曲に出会った時期は、91年頃と意外に早く、ソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年発表)のレコーディング中のことでした。

その後、99年になって、本作『IN MY HEAD』に収められることになり、さらには、翌2000年、ベックリー・ラム・ウィルソン名義の『LIKE A BROTHER』にも収録されるに至ります。

なお、ジェリー・ベックリー作の原題は、"WATCHING THE TIME"でしたが、本作『IN MY HEAD』のバージョンでは、"WATCHING THE TIME GO BY"と、≪GO BY≫が付加される形で表記がなされます。ところが、2004年、『IN MY HEAD』が本作『TOO MANY VOICES』として再発売されると、また原題通り、"WATCHING THE TIME"に戻ることになりました。さらに、2005年に発売されたロバート初のライヴ・アルバム『LEAP OF FAITH』おいても、"WATCHING THE TIME"としてクレジットされています。

この『IN MY HEAD』バージョンでは、出だしがロバート、途中からジェリー、最後をカールがそれぞれリード・ヴォーカルを担当するというリレー形式で構成されています。しかも、エンディングが長く、演奏時間も4分36秒となっています。

これに対して、『LIKE A BROTHER』バージョンの方は、全般にわたってジェリーがリード・ヴォーカルをとっています。演奏時間も3分51秒に縮まりました。イントロからも分かるように、ミックスなども多少変えてあります。

また、この両者は、歌詞の一部に違いがあります。実は、どちらが原詩なのか判然としないのですが、1991年からとりかかっていた『LIKE A BROTHER』バージョンの方が先だったと見るのが無難のように思えます。そうすると、『LIKE A BROTHER』バージョンでは≪I was strengthened when I first heard the music≫だった部分が、『IN MY HEAD』バージョンにおいて≪I was strengthened by the birth of the Beatles≫と変化するに至った、と解釈することになりそうです。

誰でも幼少の頃は自我がなく、周りの友達や家族の導くままに行動してしまいますが、この曲の中では、やがて音楽との出会い(『IN MY HEAD』バージョンではビートルズの音楽との出会い)が人生を変えることになったと語られています。自分の目指すものがハッキリするのです。以来、≪時が移ろいで行くさまを眺めながら≫、音楽と共に過ごしてきた人生を、感慨深くかえりみている、そんな情景が目に浮かびます。

05

SACHA
サーシャ

ROBERT LAMM

≪サーシャ、マイ・ラヴ≫というやわらかい囁きが印象的な曲。

サーシャは、ロバートの長女。歌詞には愛娘に対する愛情があふれて出ています。≪何でも純粋に信じ込むしぐさが好き≫、≪新しい発見があると、そのまなざしと甘い微笑みを僕に投げかけてくれるんだよね≫などなど。

一方、サーシャは≪blue eyes≫、つまり、青い瞳をしているようです。この点、シカゴの『未だ見ぬアメリカ(シカゴVIII)』にボーナス・トラックとして追加された"BRIGHT EYES"という曲は、おそらくサーシャの母親であるジュリー・ニニのことを歌ったものと推測されますが、同じく≪blue eyes≫という言葉が出てきます。勝手に結び付けて恐縮ですが、遺伝ってすごいな、と思います。

ちなみに、ジュリー・ニニは、ダイアン・ニニの妹でもあります。ダイアン・ニニは元ピーター・セテラ夫人。2人はクレアという娘をもうけます。従って、サーシャとクレアは従姉妹にあたるわけですね。

なお、ロバートは他に、ケイトとショーンという娘さんの父親でもあります。このうち、ケイトについては、次作ソロ第4弾『SUBTLETY & PASSION』において"FOR YOU, KATE"という曲を発表しています。もし、ロバートが次にソロ・アルバムを作るとしたら、当然、このショーンに関する曲が収録されることでしょう。

しかも、ロバート本人のコメントによれば、その来るべきショーン名を冠した曲の構想はほぼ整っているようですよ!

06
THE BEST THING
ベスト・シング

ROBERT LAMM PHOEBE SNOW

フィービ・スノウとのデュエット。

フィービ・スノウは、ニューヨーク生まれのシンガーソングライター。74年デビュー。ロバートとのデュエットでもお分かりいただけるように、ダイナミックな歌声に魅了されます。80年代に一時シーンから遠ざかりますが、90年代以降、多くのアーティストのリスペクトを受け、セッション参加などに精を出します。2003年には久々のニュー・アルバムをリリースしたりもしています。

ロバートは、90年代の初頭に再び、生まれ育ったニューヨークで暮らすようになりましたが、この頃、シカゴの面々とも交流のあるジェラルド・マクマホンの紹介で、このフィービ・スノウと知り合いになったということです。

曲の内容は、正直把握できそうで、できません。何が≪ベスト・シング≫なのか、分からないのです。生まれ変わった男の恋の物語かとも思うのですが、まったく確信が持てません。

ちなみに、歌詞には≪the fourth of July≫という一節がさりげなく用いられています。

07

THE LOVE OF MY LIFE
ラヴ・オブ・マイ・ライフ

ROBERT LAMM JIM VALLANCE

ジム・ヴァランスは、カナダのヴァンクーヴァーを拠点に活動する作曲家。とくに同じカナダ出身のブライアン・アダムスとの一連の共作品が有名。

ロバートとこのジム・ヴァランスの接点については、当のジム・ヴァランス自身が克明に覚えており、自らのウェブサイトにて紹介してくれています。

それによりますと、シカゴは“1994年3月”に“ヴァンクーヴァーにおいてレコーディング作業”をしていたようなのです。ちなみに、この日付は重要です。つまり、あのお蔵入りとなったアルバム『STONE OF SISYPHUS』のリリース予定が“1994年1月”前後でした。そして、数ヶ月ずつ延期されていった挙句にとうとう発表が見送られた時期と重なります。

結局、時期的にはこのお蔵入り事件の直後、シカゴはここにいう“ヴァンクーヴァーでのレコーディング作業”にとりかかったことになります。

では、このレコーディング内容は何用に行われたものなのでしょう?

この点、シカゴは同時期に、どうやらブルース・フェアバーンと会していたようなので、次作『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』の準備的な作業をしていたのではないかと推測してみました。あるいは、レコーディング内容はともかく、同アルバムに見られるようなビッグ・バンド的なアイデアがこのときに閃いたのかもしれません。その後、実際に、この『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』が、ブルース・フェアバーンをプロデューサーに迎えて、1994年の12月(ヴァンクーヴァー。このとき使用したのはジム・ヴァランス所有のスタジオ)と1995年の1月(ロサンゼルス)に録音されていることも、これを裏付けようというものです。

さて、話は戻り、1994年の3月のヴァンクーヴァー。ジム・ヴァランスは、上記のブルース・フェアバーンと交遊があったこともあり、シカゴの面々と、それに、当時ジム・ヴァランスが一緒に仕事をしていたオジー・オズボーン(!)らと一同連れ立って、食事に出掛けます。

そして、数日後、ロバートの方から、共作の話を切り出したということです。デビュー時からシカゴのファンだったジム・ヴァランスは、驚きのあまり、この申し出にあたふたしてしまいます。しかも、ロバートはわざわざロサンゼルスから空路ヴァンクーヴァーに向い、この曲を2人で書き上げたのだそうです。

以上からして、本曲のサビ部分に登場する≪cuts like a knife≫という語が、偶然に使用されたものでないことにお気付きいただけるかと思います。ちなみに、もっと面白いのは、ロバートが"GOOD FOR NOTHING"においても、この≪cuts like a knife≫という語を使用しているということです。もちろん、ブライアン・アダムスの"CUTS LIKE A KNIFE"よりも後に、です。

しかし、一方で、肝心の歌詞の内容については、抽象的で、いささか把握しにくいものがあります。

人々は、毎日満たされない思いで過ごしているが、実は、今までの日々の生活こそ、まさに自らが追い求めてきた生活なのだ、という一種の哲学的観点が表れているような気がします。明日のことを考えても仕方がない。今日必要としていることだけを望めばいい。一瞬一瞬を大切にしよう。≪生活の中に愛を求めながら≫。と、こんな感じでしょうか。

いずれにしろ、ロバートとジム・ヴァランスのメッセージが込められていると思うのですが、決して悲観的なものではなく、一期一会的な発想がうかがわれます。

なお、この曲は、ロバートのオフィシャルでは"LOOKING FOR THE LOVE OF MY LIFE"というタイトルでクレジットされています。

08

STANDING AT YOUR DOOR
スタンディング・アット・ユア・ドアー

ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

これって、もしかして・・・。

もしかして、ロバートの父親へ捧げる歌なのでしょうか?そう考えると納得いく歌詞がいくつかあります。≪Most of my life I was living without you≫、≪Independent son≫、≪What part of me has come from you ?≫などなど―――。そして、≪今、あなたのドアの前に立っている≫。何と言っていいか分からないですね・・・。

ロバートは両親の離婚に伴い、15歳のときにニューヨークはブルックリンから母親に連れられてシカゴへと移り住んできます。こうして色々なことを考えると、歌詞の内容を吟味するのがいかにも詮索じみて嫌になってきそうです。

そういえば、ロバートは80年代後半から90年代初頭のいずれかの時期に、再びニューヨークに居を移しています(詳しくはこちら)。

この曲を作ったと思われるのもおそらくその90年代前半です(但し、クレジットは93年)。故郷に帰ってきて、今まで胸に秘めていたものが抑えられなくなったのかもしれませんね。

曲調は、たしかに、最近のサウンドと言えば言えますが、『遙かなる亜米利加』やソロ第1作『SKINNY BOY』あたりの内省的なロバート節が久々に聴かれます。

なお、この曲は、のちに、ベックリー・ラム・ウィルソンの『LIKE A BROTHER』(2000年)に、日本盤ボーナス・トラックとして追加収録されるに至ります。イントロと後半のフェイド部分がちょっと異なり、全体の秒数が若干短い程度の違いです。また、本作『IN MY HEAD』のバージョンには、ジェリーとカールのヴォーカルは入っていません。

09

SWEPT AWAY
スウェプト・アウェイ

ROBERT LAMM BRUCE GAITSCH

再びフィービ・スノウとのデュエット。

曲は、シカゴ関連ではおなじみのブルース・ガイチとの共作品。しかし、クレジットで見る限り、後半に流れる鮮やかなアコースティック・ギターの調べはどうやらブルース・ガイチ本人ではなく、スタジオ・ミュージシャンによる模様。

ややスロー・テンポな曲調で語られるのは、メルヘンチックな恋のゆくえ。夢にまで見た男の子に出会えたことを神に感謝する少女。一方、男の子の方も、彼女の息遣いを感じ、胸が高鳴ります。この淡い恋心は永遠に続きます。そう、そこには、まさに≪論理も要らない≫し、≪理由も要らない≫のです。

ちなみに、ロバートは、この曲をウェディング・ソングに推奨しています。

10

SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED (AGAIN)
スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド(アゲイン)

ROBERT LAMM JOHN McCURRY

この"SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED (AGAIN)"は、当初、シカゴの『STONE OF SISYPHUS』(94年発売予定。2008年発売)に収録される予定でした。しかし、ご承知のようにこのアルバムは発売が見送られてしまい、のちに、本作『IN MY HEAD』(99年)に収録されるに至ったのです。

『STONE OF SISYPHUS』バージョンでは、ピーター・ウルフがプロデュースしていました。力強いドラミングで始まり、ブラスもギターも縦横無尽に活躍しています。

これに対して、『IN MY HEAD』バージョンの方は、ジョン・ヴァン・エプスがプロデュース。もっぱらヴァン・エプスによるプログラミングがバックを支え、ブラスはありません。ロバートの音楽の延長だとこうなるのかな、という感じです。

共作者のジョン・マッカリーは、ロバートのソロ第2弾『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』において、ギターやバックボーカルで参加していた人物です。


ところで、ロバートはこの曲を書いた頃(少なくとも90年代前半)、ロサンジェルスからニューヨークに居を移していたようです。

なるほど、大都会独特の混沌とした光景が描かれています。その昔、シカゴは都会の喧騒を離れ、ロッキー山麓(カリブー・ランチ)にレコーディングの本拠を置きましたが、それと同じような住環境の変化が、90年代のロバートに関してはあったというわけです。アーティストにとって刺激は常に必要だということでしょうか。


はたして、「シカゴはラップだけはやらないだろう」とい私の固定観念は、この曲によって見事に打ち砕かれました。それも、シカゴなりに取り込んでいるところがさすがだと思うのです。

このとき、こういう作風が今後も続くかと言えば、そんなことはないだろう、とタカをくくっていたのですが、その後も多少の影響はあったようです(例:"IT'S A GROOVE, THIS LIFE")。今ではこういった曲調にすっかりハマってる私も私ですが―――。

なお、途中サンプリングされているのは、ラスト・ポエッツ(LAST POETS)の"NEW YORK, NEW YORK"と"WAKE UP NIGGERS"の2曲です。

このラスト・ポエッツは、貧しいハーレムから出た黒人グループで、60年代後期から活動を開始したとのことです。音楽的には、今で言うヒップ・ホップないしラップを基調とした、いわゆるプロテスト・ソングを主流とする模様。サンプリングに使用された上記2曲は、彼らのファースト・アルバム『THE LAST POETS』(70年)に収録されていました。