ディスコグラフィ   シカゴ(32)

CHICAGO XXXII : STONE OF SISYPHUS (2008/6)
CHICAGO

曲目 シカゴ32 ストーン・オブ・シシファス
シカゴ
総評

試聴♪

Produced by PETER WOLF

曲目
01 STONE OF SISYPHUS ストーン・オブ・シシファス
02 BIGGER THAN ELVIS ビガー・ザン・エルヴィス
03 ALL THE YEARS オール・ザ・イヤーズ
04 MAH-JONG マージャン
05 SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド
06 LET'S TAKE A LIFETIME レッツ・テイク・ア・ライフタイム
07 THE PULL ザ・プル
08 HERE WITH ME (A CANDLE FOR THE DARK) ヒア・ウィズ・ミー
09 PLAID プラッド
10 CRY FOR THE LOST クライ・フォー・ザ・ロスト
11 THE SHOW MUST GO ON ザ・ショー・マスト・ゴー・オン
<ライノ再発盤ボーナス・トラック>
12 LOVE IS FOREVER (Demo) ラヴ・イズ・フォーエバー (デモ)
13 MAH-JONG (Demo) マージャン (デモ)
14 LET'S TAKE A LIFETIME (Demo) レッツ・テイク・ア・ライフタイム (デモ)
15 STONE OF SISYPHUS
(No Rhythm Loop)
ストーン・オブ・シシファス
(ノー・リズム・ループ)
総評

2007年5月12日のコンベンションにおいて、ロバート・ラムは、「ライノから『STONE OF SISYPHUS』がリリースされると思います」と発言します。

それから1年。ついにその日がやって来ました。94年にお蔵入りした本作は、世紀を跨った2008年6月、ついに正式にリリースされることになったのです!

しかも、ボーナス・トラック付きです。


今になって正式にリリースされる理由はよく分かりません。しかし、リリースしない理由がない、というくらいのところではないでしょうか。

ただ、近年、ジェイソン・シェフが音頭を取って、ロバート・ラムのバックアップを得ながら、最近のシカゴの活動に信じられないくらいの尽力をして来ています。本作の正式リリースも、このようなジェイソンの尽力の賜物と見ることができると思います。

また、現在シカゴが籍を置いているライノの重役は、大のシカゴファンです。このことも本作の正式リリースを後押ししたのかもしれません。実際、この重役は、上記2007年のコンベンションにおいて、ロバートの発言を追認したのでした。


さて、以下、本作の詳細です。

本作は、『STONE OF SISYPHUS』という名の下、93年に製作され、最終的には94年1月頃、シカゴ22作目の新作として発表されるはずでした。

ところが、当時シカゴが在籍していたリプリーズ社の親会社ワーナー・ブラザーズの意向により、発売が延期され、いわゆるお蔵入りという憂き目に遭います。まさに幻のアルバムだったのです(なお、未発表の経緯についてはこちらをご参照ください)。

このお蔵入りの件の後、シカゴはリプリーズを離れ、同じワーナー傘下にあるジャイアント・レコーズに移籍し、別途22作目を発表します。しかし、それはなんとビッグ・バンドのレパートリー集だったのです(『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』)。

そうこうするうちに、23作目以下の作品も次々登場し、ひいては2006年、久々のフル・アルバムである30作目『シカゴXXX(サーティ)』が発売されるに至ります。

上記のとおり、この『シカゴXXX(サーティ)』の製作と発売の背景には、ジェイソン・シェフとロバート・ラムによる、とてつもない尽力があったのでした。おそらく、この流れで、本作『STONE OF SISYPHUS』も日の目を見るようになったのではないか、と推測されます。

ところで、93年から94年当時、本作のタイトルが、なぜナンバリングされたものでなかったのか、その理由は分かりません。ただし、ロバート・ラムは早くから番号なしのアルバムになることに同意をしており、自らは≪RESOLVE≫というタイトルを提案していたようです。


本作の内容は、外部ライターの協力を最小限にとどめてオリジナル色を濃くし、しかも、パワーバラード路線を継承しつつ、時代に合わせて、ラップやヒップホップ的要素をも取り込んだ、ブラス・アルバムとなっています。

プロデューサーはピーター・ウルフ。主に80年代中期からトップ10ヒットを連発した売れっ子ライターでした。J.ガイルズ・バンドのピーター・ウルフとは別人です。

面白いことに、このピーター・ウルフは、70年代にフランク・ザッパのバック・バンドを務めています(キーボード担当)。フランク・ザッパのバック・バンドを務めてシカゴのプロデューサーになる経歴は、ジェイムズ・ウィリアム・ガルシオのそれ(ベース担当)に似ています。

また、ピーター・ウルフは、75年にはシカゴのメンバーとも会っています。中でも、テリー・キャスの大ファンだったそうで、テリーとも話すことができたと言っています。

ピーター・ウルフは、初め、『19』の製作を打診されていたようですが、上記のとおり、当時はすでに売れっ子となっていたため、シカゴの仕事をやる時間がなく、ここで一旦話は流れたそうです。そして、92年になってスケジュールに余裕が出てきた頃、あらためて話をもらい、それから本作『STONE OF SISYPHUS』の仕事にとりかかったそうです。

シカゴのプロデューサー業を引き受けたピーター・ウルフの目指したところは、本人の弁によれば、「シカゴ・ホーンズとオリジナル・メンバーによる楽曲作りの復活」だったようです。


なお、かつて、このアルバムのジャケット・デザインは、黄色あるいは青緑色の地に、男性が石を押し上げている姿を描いたものとして一般には認識されていたように思います。これは、本作の製作当時シカゴのメンバーであったドウェイン・ベイリーが持っていたカミュのペーパーバック『THE MYTH OF SISYPHUS』の表紙にヒントを得たイラストレーターがデザインしたものでした。当時はアルバム自体が未発表となったため、もはやこのデザインが本採用レベルに達していたかどうか、確かめようがありません。そこで、とりあえず、私としましても、このかつて一般に知れ渡ったジャケット画は掲示しないことにしました。

Q&A 『STONE OF SISYPHUS』未発表の経緯
01

STONE OF SISYPHUS
ストーン・オブ・シシファス

DAWAYNE BAILEY LEE LOUGHNANE

ドウェイン・ベイリーリー・ロックネインの共作。

確証はありませんが、おそらくは、ドウェインの方がメイン・ライターだと思われます。理由は次のとおりです。

89年頃、ドウェイン・ベイリーは"TWENTY YEARS ON THE SUFFERBUS"というインストゥルメンタルを書き始めました。これが後年、本作『STONE OF SISYPHUS』のセッションのときに、ピーター・ウルフの気に入るところとなり、ドウェインは歌詞を考えるよう励まされます。そして、出来上がったのが、ギリシャ神話をモチーフにした本曲だった、ということです。


ヴォーカルは、ロバート・ラムとドウェイン・ベイリー。

もっとも、≪I'm gonna take the Stone of Sisyphus≫で始まるサビの部分を誰に歌わせるかは、バンド内でも議論があったようです。この点、プロデューサーのピーター・ウルフは、まず、ジェイソン・シェフビル・チャンプリン、そして、ロバート・ラムのそれぞれに吹き込みを行なわせます。しかし、どうやら、最初に聴いたドウェインのデモの印象が残っていたらしく、結局、他のメンバーを説得して、最終的にドウェインに担当させることを承諾させます。このピーター・ウルフの決定に、ドウェインは大変感激したようです。

ドウェインのヴォーカル・スタイルは、ハイ・トーンのハード・ロック調です。しかし、これが彼のすべてでないことは、ドウェインのソロ・ワークを聴いていただければ、お分かりいただけると信じています。


一方、歌詞面に目を向けますと、これがかなり面白いのです。

まず、かつてシカゴが神話を持ち出したことがあったでしょうか?この曲のモチーフとなっているシシュフォス王は、下記の通り、何度も転がってくる石をあきらめずに戻し返す逸話で知られています(ジャケット画参照)。したがって、この曲も、おそらく、何度も何度もあきらめずに2人の間にできた壁を崩すよ、という内容だと推測されます。

その≪STONE OF SISYPHUS≫をさらに詳述しますと、この語は、一般的には“シシュフォスの石”と訳されることが多いようです(ギリシア表記)。

ここにシシュフォスとは、ギリシア神話に登場する都市コリントの王のことを指します。彼は、最高神ゼウスの怒りを買い、死後、地獄で絶えず転がり落ちる大石を山頂へと押し上げるという刑に処せられました。つまり、“シシュフォスの石”といえば、通常は、「無駄で苦労することを死んでも押し付けられた」という逸話のことを表します。

ちなみに、文学者カミュは、その著述に係る『シーシュポスの神話』の中で、このシシュフォスの石の逸話を“不条理”を表すものとして引用しています。しかし、同時に、カミュは、この石を持ち上げるという徒労的作業の繰り返しに没頭するシシュフォスは、“忠実”なのであり、果ては“幸福”なのだと論じているのです。なかなかに興味深い論考です。

なお、このようにギリシア神話の中では、“シシュフォス”の語が用いられるのが一般的なようですが(他に“シシフス”、”シジフォス”のほか、上記カミュのように“シーシュポス”など)、英語読みでは“シシファス”が一番近いようなので、本サイトにおける“タイトル表記”としては、この“シシファス”で統一してあります。

さらに、この曲の中には、≪blood sweat and tears turn faith to will≫という一節がありますが、作者のドウェイン・ベイリーによれば、これは、内輪ネタとして、シカゴのメンバーが、同じブラスロックの旗手であるブラッド、スウェット&ティアーズというフレーズを歌うところを聴きたかったからなのだそうです。推測はしていましたが、まさか、本当に、そのように意図していたとは驚きです。


ところで、ライナーには、ドウェイン・ベイリーがこの曲のホーン・アレンジも共同したと記載されていますが、ドウェイン自身がこれを否定しています。ただし、ドウェインは、ホーン・アレンジの中に、ジョン・レノンの"NORWEGIAN WOOD"のメロディを付加したとも述べていますので、ライナーの記載は、このことを指しているのかもしれません。


この"STONE OF SISYPHUS"は、2003年発売の『THE BOX』の中にすでに収録されています。

その他、この曲のレア・バージョンなどの情報につきましては、なすさんことDB_PP_RuinsさんのDawayne Bailey Fan Pageを併せてご参照ください。念のため申し上げておきますが、なすさんのページにある音源は、すべてドウェイン・ベイリー本人の許諾を得て搭載されたものです。

02

BIGGER THAN ELVIS
ビガー・ザン・エルヴィス

JASON SCHEFF PETER WOLF INA WOLF

ジェイソン・シェフの父、ジェリー・シェフは長年エルヴィス・プレスリーのバックバンドを務めてきました。

しかし、家庭内では、ジェイソンがまだ幼少の頃に破局を迎えています。以来、母方に引き取られたジェイソンは、記憶もおぼろげな父の姿をずっと夢見てきました。本曲は、そんな父への思いを綴った曲です。

プレスリーがどんなに偉大だろうと、自分にとっては父親であるジェリーの方がはるかに偉大である、という切々とした愛情が語られています。たとえば、≪テレビでお父さんを見たよ。僕にとってはあなたこそ王様なんだ≫と。

ところで、歌詞中に見られる、このようなシチュエーションには、プロデューサーであるピーター・ウルフの妻イーナ・ウルフのアイデアが反映されているそうです。彼女のクレジットも掲載されているのはそのためです。


ご存知のようにアメリカでは離婚率が非常に高く、こうした親の都合でジェイソンのような立場に置かれる子供は少なくありません。

しかし、ジェイソンはまだ幸運に恵まれている方です。たとえば、ジェイソンは、シカゴとは別の個人的活動において、ミュージシャンである父ジェリーとのジョイントを実現させるなどしています。今はまさに失われた時間を互いに埋め、至福のときを過ごしていると言えるでしょう。

幸運と言いましたが、これも、ジェイソンの性格によるところが大きいのではないでしょうか。ジェイソン自身は、各種インタビューなどでも、とても大人で、本当に紳士的に受け答えをしていたりしています。その誠実さ、真摯さには大変感動しました。もっとも、ときには驚くくらいおどけた表情を見せたりしますが、これはこれでご愛嬌です・・・。


ここで再び歌詞に目を向けますと、≪今からは一緒に歩んで行こう。あなたみたいな音楽を生み出して行くんだ≫と決意が新たになっていることに気付きます。

さらに、本曲のクレジットには、ジェイソンの父、ジェリー・シェフがベースで参加していることが表記されています。つまり、“楽曲上の共演”という、おそらくジェイソンの長年の願望だったことがここで実現したわけです!

また、ジョーダネアーズというクレジットもあります。彼らは長年エルヴィス・プレスリーのバック・コーラスを務めてきた4人組のヴォーカル・グループです。


一方、シカゴの中で親子を題材とした歌と言えば、真っ先に思い浮かぶのが『シカゴ XI』の"LITTLE ONE"です。これはドラムスのダニエル・セラフィンと子供たちの別れを描いたもので、同様に涙なくしては聴けない秀逸作です。


なお、この"BIGGER THAN ELVIS"は、2003年発売の『THE BOX』の中にも収録されています。

03

ALL THE YEARS
オール・ザ・イヤーズ

ROBERT LAMM BRUCE GAITSCH

これより先、93年に発表されたロバート・ラムのソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』に収録されていた曲ですが、もともとはシカゴ用に製作されていたものだそうです。

しかし、それがこの『STONE OF SISYPHUS』を対象としたものであったかは、多少疑問が残るところです。というのも、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトでは、この曲の製作時期は「1990年」とあり、年代的には、91年発表の『21』の方が符合するからです。もっとも、何らかの理由で『21』への収録が見送られ、その後、93年のソロ第2弾に収録する形に発展したのかもしれません。

いずれにしろ、このソロ・バージョンがアレンジを施されたうえで、ようやく本作『STONE OF SISYPHUS』への収録が決定した、と見ることができるのではないでしょうか。

ところが、ご承知のとおり、94年になってこの『STONE OF SISYPHUS』がお蔵入りをしてしまったわけです。なかなかうまくは行かないものです。


両バージョンの詳細な比較はソロ・バージョンの私的感想に譲り、ここでは多少触れるにとどめておきたいと思います。

まず、このシカゴ・バージョンの方では、ソロ・バージョンでは見られなかったギター・カッティングがイントロ部分に導入されていることにまず注目が行きます。

長らく、このギター・カッティングが誰の手によるものか判然としませんでしたが、どうやら、ビル・チャンプリンの演奏のようです。このことは、ロバートのソロ・ライヴ・アルバム『LEAP OF FAITH』における本曲の演奏終了時に、その旨のコメントをしていることから推測されます。とにかく、とても印象的なイントロです。もっとも、『THE BOX』のブックレットには、「ギターはブルース・ガイチ」とあります。結局、いろんな人のテイクを取ったということなのでしょう。アルバム収録曲に採用されたものは、そのうちの1テイクにすぎないのです。

これに対して、ライナーには、ギターはドウェイン・ベイリーが担当したと記載されています。ところが、ドウェイン自身は、次のように語っています。「私は、"ALL THE YEARS"では弾いていないのにクレジットされていて、"LOVE IS FOREVER"では弾いたのにクレジットされていません」と。


また、間奏部分には、2箇所にわたって引用が行われています。

1つ目は、スピーチです。1人はロバート・F・ケネディですが、あともう1人は分かりません(ジョンソン大統領かキング牧師でしょうか?)。

ロバート・ケネディは、1968年3月16日に、大統領選挙への出馬を表明しますが、そのときの演説の一節が引用されているのです。

「I am today announcing my candidacy for the presidency of the United States. (中略) I run to seek new policies - policies to end the bloodshed in Vietnam and in our cities, policies to close the gaps that now exist between black and white, between rich and poor, between young and old, in this country and around the rest of the world.」

2つ目は、ファースト・アルバム『シカゴの軌跡』に収録されていた、"PROLOGUE, AUGUST 29, 1968"の≪The whole world's watching≫というシュプレヒコールです。このシュプレヒコールは、次の"SOMEDAY"への橋渡しとなるとても重要な部分でした。

日付を見ると、いずれも1968年の民主党関連の出来事として、つながっているわけです。


ところで、ロバートは、この曲について、「アメリカの政治に幻滅したことと、シカゴの一部という文脈の中における自分の個人的な進化について語ったものです」と述べています。

言うまでもなく、ロバートは熱心な民主党支持者です。

しかし、1981年から2期8年間、共和党のレーガン大統領が政権を担った後、次期大統領を決める1988年の選挙では、またしても共和党のブッシュ(=父)候補が勝利を収め、翌1989年からも同党の政権が続くことになります。

そして、上記のとおり、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトによれば、この曲が書かれたのは「1990年」なのです。

このような経過を追った上で、この曲の歌詞を眺めますと、いかにロバートが当時のアメリカの政治に幻滅したかを窺い知ることができて、実に興味深いものがあります。特に、『STONE OF SISYPHUS』バージョンでは割愛されてしまった歌詞がソロ・バージョンにはそのまま残っており、それらが選挙における敗退を物語っている点は見逃せません。

また、なぜ間奏部分に政治家の演説が挿入されているのかについても得心がいくようになります。

一方、シカゴの一部という文脈の中における自分の個人的な進化という点については、具体的にはよく分かりません。今後、じっくり考えてみたいと思います。


その他、詳しくは、ソロ・バージョンの私的感想をご覧になってください。

なお、この『STONE OF SISYPHUS』版"ALL THE YEARS"は、2003年発売の『THE BOX』にも収録されるに至っています。

04

MAH-JONG
マージャン

JASON SCHEFF BROCK WALSH AARON ZIGMAN

この曲だけはよく分かりません。ビルの迫力あるR&B風ヴォーカルに圧倒されますが、歌詞の内容がいまだに“?”状態です。

≪彼女は麻雀はしない、彼女は麻雀はしない・・・≫。最後に至っては、≪彼女はノーテンで、俺はドラをツモって、ゲームオーバー≫と訳すのでしょうか!?いったいどうしてこういう曲ができたのでしょう?

とても無責任なレビューですが、本当に分からないので、あしからず。

なお、本曲は、ジェイソン・シェフのソロ・アルバム『CHAUNCY』(97年)にも収録されています。

05

SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED
スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド

ROBERT LAMM JOHN McCURRY

混乱を招くようですが、本アルバム『STONE OF SISYPHUS』中の"ALL THE YEARS"は、これより先、ロバート・ラムのソロ第2弾『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年)に収録されていました。

一方、この"SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED"は、のちのロバートのソロ第3弾『IN MY HEAD』(99年)にそれぞれ収録されるに至ります。

この『STONE OF SISYPHUS』に収められたシカゴ・バージョンは、ピーター・ウルフがプロデュースし、力強いドラミングで始まる点が特徴的です。ブラスもギターも縦横無尽に活躍しています。しかも、『IN MY HEAD』バージョンと異なり、他方、『TOO MANY VOICES』バージョンと共通して、タイトルから≪(AGAIN)≫という付加語が割愛されています。

これに対して、『IN MY HEAD』にあるソロ・バージョンについては、ニューヨークにおけるロバートの片腕ジョン・ヴァン・エプスがプロデュースを担当しています。もっぱらヴァン・エプスによるプログラミングがバックを支え、ブラスはありません。ロバートの音楽の延長だとこうなるのかな、という感じです。

共作者のジョン・マッカリーは、ロバートのソロ第2弾『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』において、ギターやバックヴォーカルで参加していた人物です。


ところで、ロバートはこの曲を書いた頃(少なくとも90年代前半)、ロサンジェルスからニューヨークに居を移していたようです。

なるほど、大都会独特の混沌とした光景が描かれています。その昔、シカゴは都会の喧騒を離れ、ロッキー山麓(カリブー・ランチ)にレコーディングの本拠を置きましたが、それと同じような住環境の変化が、90年代のロバートに関してはあったというわけです。アーティストにとって刺激は常に必要だということでしょうか。


果たして、「シカゴはラップだけはやらないだろう」とい私の固定観念は、この曲によって見事に打ち砕かれました。それも、シカゴなりに取り込んでいるところがさすがだと思うのです。

このとき、こういう作風が今後も続くかと言えば、そんなことはないだろう、とタカをくくっていたのですが、その後も多少の影響はあったようです(例:"IT'S A GROOVE, THIS LIFE")。今ではこういった曲調にすっかりハマってる私も私ですが―――。


なお、途中サンプリングされているのは、ラスト・ポエッツ(LAST POETS)の"NEW YORK, NEW YORK"と"WAKE UP NIGGERS"の2曲です。

このラスト・ポエッツは、貧しいハーレムから出た黒人グループで、60年代後期から活動を開始したとのことです。音楽的には、今で言うヒップ・ホップないしラップを基調とした、いわゆるプロテスト・ソングを主流とするグループです。サンプリングに使用された上記2曲は、彼らのファースト・アルバム『THE LAST POETS』(70年)に収録されていました。

06
LET'S TAKE A LIFETIME
レッツ・テイク・ア・ライフタイム

JASON SCHEFF BROCK WALSH AARON ZIGMAN

スロー・テンポなバラード。ジェイソン・シェフの甘いヴォーカルが魅惑的です。

≪生涯をともに過ごそう。それが僕らの願ってること≫とあるように、単純に至福のときを歌ったものと解釈してよさそうです。

バックに流れる高音のブラス、特に後半部分のソロ・パートは、曲をロマンティックに盛り上げてくれてます。

また、全編にわたって聴ける“指パッチン”がとても印象的です。誰の音なんでしょう?察するにトリス・インボーデンあたりでしょうか?

07

THE PULL
ザ・プル

ROBERT LAMM JASON SCHEFF PETER WOLF 

異様なスリル感のある曲です。冒頭の神秘的なイントロから一転して、出し入れ自在のブラスに鼓動が高鳴ります。

歌詞はロバート・ラムが、作曲はジェイソン・シェフとプロデューサーのピーター・ウルフがそれぞれ担当しています。

大半のリード・ヴォーカルはジェイソンが務めますが、後半の≪I'm down walking through a storm≫から始まる箇所については、ロバートが絶唱しています。これまでに聴いたこともないような鬼気迫る高音を発します。のちに、ロバート本人も認めるように、このヴォーカル・レンジは彼の出し得る最高点らしいです。


ロバートは、作詞にあたって、「1度に2つの場所に行けないもどかしさを表現したかった」と語っています。彼が頭に描いていたのは、そう、タイム・トラベル!それも、科学的な可能性は問題にせず、観念的・意思的な時間旅行をイメージしています。差し詰め、空想タイム・トラベルといったところでしょうか。かなりお気に入りの曲のようです。

私は、当初、この≪the pull≫という言葉の訳し方が分かりませんでした。しかし、ロバートの上記コメントに従えば、これは時間移動の“引き金”、つまり、他の時間に引き込まれそうになるキッカケを表現しているのかもしれないと思うに至りました。もしくは、次元の異なる世界から“引かれること”を意味しているのかもしれません。なるほど、歌詞をよく見てみると、時間や場所が交錯していたり、主人公が名前を忘れてしまったりするシーンが出てきます。


ちなみに、日本で発売された『ハート・オブ・シカゴ1982-1998 II』(黄盤)では、歌詞の所々が欠けており、ちょっと残念な気がしました。


なお、この曲の貴重なライヴ演奏の模様が、DVD『イン・コンサート・アット・ザ・グリーク・シアター』の中で観ることができます。当時は、本アルバム『STONE OF SISYPHUS』の発売を間近に控え、サマー・ツアーでの先行お披露目という形を取っていたのです(しかし、ご承知のように結局は未発表に・・・)。

DVD中、面白いのは、ロバートがこの曲の演奏直前に話したMCの内容。ロバートは、バンドのレコーディングと結婚はともに「マジックのよう」である点で共通しているとし、愛ある結婚について語り出します(おそらくは、現夫人のジョイ・ラムさんと結婚したばかりの頃だと思うのですが、確信はありません)。しかし、そのロバートの力説振りのすぐうしろで、ジェイソン・シェフが手で4ないし5回という数字を指で表しているのです。これが意味するところは・・・。

08

HERE WITH ME (A CANDLE FOR THE DARK)
ヒア・ウィズ・ミー

JAMES PANKOW ROBERT LAMM GREG O'CONNOR

90年代のシカゴがロックとオーケストラを融合すると、こんな感じになるのかな、という作風です。

ロバート・ラムのささやくような出だし。とてもロマンティックです。≪パリから寒い大西洋岸に向かって鉄道で旅をしたね。冬の雨が降って、夜明けまで手を寄り合わせていたっけ。覚えているかい?≫と。

続いて、ビル・チャンプリンが徐々に力強さを増して行くヴォーカルを披露します。≪日の出よりも早く。誰よりも高く飛び。良い夢はいつまでも続かないものだ。僕は過去を後悔したりはしない≫と。

そして、ジェイソン・シェフによるサビ部分です。≪ここにいよう。いつまでも僕の心の奥底に。闇夜に灯したロウソクのように。僕はキミを離さない。ここにいるんだ。予期せぬエンディングが待ち受けているんだ≫と。

歌詞を通して感じるのは、いわば心象風景です。寒々とした自然の描写の背景には、別れ際の刹那に繰り広げられる心の動きが表われているような気がします。

曲自体も、静と動があって、大変ドラマティックな仕上がりとなっています。特に、ジェイソンのヴォーカルには綺麗なスケール感が表出されています。


なお、あくまでも推測ですが、元々この曲は"A CANDLE FOR THE DARK"というタイトルだったかもしれません。どうやら、『STONE OF SISYPHUS』に収める段になり、題名が変更されたようなのです。

個人的には"HERE WITH ME"にして良かったと思います。しっくりきます。というのは、≪Here with me≫と≪a candle for the dark≫というフレーズはどちらもキーワードにしやすい語呂であり、互いにぶつかってる感じがします。いわゆる“くどい”状態に感じるのです。だとしたら、シングルの題名としては、シンプルで収まりのいい"HERE WITH ME"の方を選んで正解だったかな、と思うからです。

ちなみに、この曲も、日本で発売された『ハート・オブ・シカゴ1982-1998 II』(黄盤)に収録されています。

09

PLAID
プラッド

BILL CHAMPLIN ROBERT LAMM GREG MATHIESON

ロバート・ラムビル・チャンプリンの共作というのはとても珍しく、ざっと見ても、『シカゴ17』の"WE CAN STOP THE HURTIN'"くらいです。あとは、ロバートのソロ・アルバムに追加収録された"SAD OLD HOUSE"がある程度です。

この"PLAID"の共作作業の実際についてロバートが説明してくれているのですが、それによれば、そのほとんどがビルのペンによるとのことです。そのため、ロバートはビルのことを「非常に気前良くクレジットを分け合ってくれる」人物と評しています。これは、何千というセッション経験があるビルならではの習性かもしれません。

一方、ビルも面白いことを言ってます。なんでも、ビルは、ロバート作の"SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED"の歌詞に強い影響を受け、その緊迫感をこの"PLAID"の中にも盛り込みたかった、といった主旨の感想を語っていたようです。


しかし、曲の内容は完全にお手上げです!

上記のように歌詞の大半はビルが書き、ロバートが若干足したそうですが、全体として何のことを歌ったのか、さっぱり見当が付きません・・・。

≪plaid≫とは、通常、格子じまの模様のことを指します。つまり、直線が直角に交差する図柄のこと言い、シャツの柄などによく使われています。また、単に肩掛けのことを言う場合もあります。

ただし、これを用いた文章の意味がまったく分かりません。 ≪plaid≫=≪格子じま≫→≪俺の栄光の日々は格子じまだったと世界に知らせるんだ≫???う〜ん、返す返すもよく分かりません・・・。

10

CRY FOR THE LOST
クライ・フォー・ザ・ロスト

BILL CHAMPLIN DENNIS MATKOSKY

この曲は、ビル・チャンプリンのソロ第5作『THROUGH IT ALL』に収録されている"PROUD OF OUR BLINDNESS"と同じ曲です。ただ、サビの部分の歌詞がだいぶ異なっています。しかも、ビルの同ソロ・アルバム中のクレジットも94年なので、どちらが先なのか、といった点も不明です。

ともかく、本作シカゴ・バージョンの方は、出だしがとても重厚感のあるものになってます。しかも、密林に迷い込んだかのような印象のサウンド構成があって、非常に興味深い曲でもあります。

ビルの詩は大人の恋を感じさせます。その情熱的なヴォーカルに似合わず、とても理知的に恋の終局を振り返っています。≪うまく行ってるときはお互い気付かずにいた。気持ちを分かち合うやさしさを・・・≫。そんな内容を感じ取ることができます。

ビルに限らず、シカゴの面々は、お世話になっているセッション・ミュージシャンにとても尊敬の念を払っています。ビルは、2005年5月18日、本曲の共作者デニス・マトコスキーが主催したミニ・ライヴに参加し、この曲を一緒に演奏したそうです。そのときは、どうやら、"PROUD OF OUR BLINDNESS"名義だった模様です。"HERE WITH ME"でもそうですが、タイトル候補となるフレーズが複数出てくるというのは、よくあることなんでしょうか?

11
THE SHOW MUST GO ON
ザ・ショー・マスト・ゴー・オン
BILL CHAMPLIN BRUCE GAITSCH

この曲は、もともと89年に作られた曲です。

そのときの原題は"FALLING IN LOVE"でしたが、のちに、この『STONE OF SISYPHUS』に収録される段階になって、プロデューサーのピーター・ウルフの提案によりタイトルと歌詞が変更されたようです。

この辺のエピソードについては、その"FALLING IN LOVE"を収録した『COOL TREASURES』(COOL-075)において、中田利樹さんによる解説がありますので、詳しくはそちらをご参照ください。

原曲の方は、ブラスも控えめで、ビル・チャンプリンのパワー炸裂ヴォーカルとともに、ブルース・ガイチのギタープレイを堪能でき、それでいて、とてもさわやかな曲調で構成されていました。

一方、この『STONE OF SISYPHUS』バージョンは、シカゴらしく、ハナから重厚なブラス・セクションが大活躍しています。シカゴであったらこうあってほしい、という仕上がりですね。ただし、ギターは誰なのか分かりません。

内容的には、≪前進しなければならない≫といった過去との強い決別を歌ったものと思われます。

また、共作者のグレッグ・マティソンはキーボード奏者で、ビルの『THROUGH IT ALL』に収められてる"JUST TO BE LOVED"でも共作してます。

<ライノ再発盤ボーナス・トラック>
12

LOVE IS FOREVER (Demo)
ラヴ・イズ・フォーエバー (デモ)

JAMES PANKOW ROBERT LAMM

元々は、本作ではなく、91年発表の『シカゴ21』のアウトテイクだった曲です。

ドウェイン・ベイリーによりますと、その正確な経緯は次のようなものであったそうです。

まず、ドウェインがこの曲のギター部分を録音したのが1990年の1月で、そのときは、マリブーにあるデヴィッド・フォスターのスタジオで行ったそうです(注:90年の時点では、デヴィッド・フォスターはもうシカゴのアルバムを手掛けていませんでした)。ちょうどその頃、『21』のセッションが始まったそうです。ということで、『21』のアウトテイク扱いと言われているそうです。

なお、クレジット上漏れがありますが、この曲のギターを弾いているのは、ドウェイン・ベイリーです。

13
MAH-JONG (Demo)
マージャン (デモ)

JASON SCHEFF BROCK WALSH AARON ZIGMAN

14
LET'S TAKE A LIFETIME (Demo)
レッツ・テイク・ア・ライフタイム (デモ)

JASON SCHEFF BROCK WALSH AARON ZIGMAN

15

STONE OF SISYPHUS (No Rhythm Loop)
ストーン・オブ・シシファス 
(ノー・リズム・ループ)

DAWAYNE BAILEY LEE LOUGHNANE