94年発表予定でしたが、お蔵入りとなった幻のアルバム、『STONE OF SISYPHUS』。
93年に製作され、最終ミックスも完了した本作は、まさにシカゴ22作目の新作として発表されるのを待つばかりでした。
ところが、当時シカゴが在籍していたリプリーズ社の親会社だったワーナー・ブラザーズの意向により、 94年1月、発売延期が決定してしまいます。
そして、2008年6月17日という日が来るまで、実に14年間も店頭に並ぶことなく終わってしまった不運のアルバムなのです。しかも、この2008年の段階では、22作目ではなく、32作目として扱われることになりました。
さて、話を未発表の経緯に戻しましょう。
上記に言う“ワーナー側の意向”とは、「『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』からはじまるAORバラード路線、つまり、売れ線のアルバムを」ということでした。
たしかに、『シカゴ19』のビッグ・ヒットに比べると、90年代に入って製作された『21』のインパクトは薄く、少なくともチャートを賑わす存在ではなくなっていました。
これに対し、常に前進しようとするシカゴは、外部ライターの協力を最小限にとどめ、オリジナル色を濃くし、しかも、時代に合わせて、ラップやヒップホップ的要素をも取りこんだブラス・アルバムを作ろうとしたのです。この意欲的な作風が、ワーナー側の意向と真っ向から対立した・・・。これが一般に伝わる話です。
ただし、メンバーもこの最終ミックスには満足していなかったようですから、メンバー自身も、この時点でどれだけ強くアルバムの発売を望んでいたかは、若干疑問が残るところでもあります。
もっとも、私自身は、ごく最近になって、このアルバムのお蔵入りの原因が、何かもっと違うところに本質があるのでは?とも思うようになりました。明確な根拠はないのですが、ただそんな風に思うのです。
この後、シカゴは所属するリプリーズを離れ、同じワーナー傘下にあるジャイアント・レコーズに移籍し、22作目として、作風をガラッと変えた、ビッグ・バンド時代のカバー・アルバム『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』(95年)を発表することになります。
その他、本作『STONE OF SISYPHUS』に関する話題に興味をお持ちの方は、DAN LEROY著『THE GREATEST MUSIC NEVER SOLD』というペーパーバックをご覧になってみてください。同書には、明確な言及があるわけではありませんが、行間を読みますと、お蔵入りの理由として、前作『21』のセールスが芳しくなかったので、レーベルとしても、次のアルバムには商業ベースに見合うものを求めていたのであろうと推測している感は伝わって来ます。それ以外にも、とにかく、読み応えのある内容となっています。
ところで、悲しいかな、多くのファンは、これらお蔵入りするまでの経緯を当時はほとんど知りませんでした。新作リリースの噂は耳にするものの、実際にはこのアルバムを聴くことは叶わなかったわけです。
しかし、昨今のインターネットの急激な発達により、一時、本作『STONE OF SISYPHUS』をネット上で聴くことができるようになりました。最近では、おそらく一番思い入れがあるであろうドウェイン・ベイリーが自身のオフィシャル・ウェブサイトにてこの音源を試聴公開したりもしていました。
このように一旦はお蔵入りの憂き目に遭った本作ですが、世紀を跨った2008年6月、ついに正式にリリースされることになったのです。
もっとも、本作に収録される予定であった楽曲のうち、実はすでに正式な形でCD化されているものもあります。その点につきましては、以下の一覧表をご参照 ください。
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